2009年5月30日土曜日

真のグルグルファンを見分ける簡単な方法。

真のグルグルファンを見分ける簡単な方法。

簡単である。ネットを検索させて、

・『グルグル名言集』に真っ先に飛びつくのは偽者。
・『グルグル言集』に真っ先に飛びつくのが本物である。

2009年5月26日火曜日

ハイジ略史 楓物語

すげー。
楓物語(大正時代に書かれた、ハイジのYet Anotherな訳本です)を、わざわざ国会図書館で見てきたんだと!やるなぁ。

ハイジ略史 楓物語

以下は上ページの引用。非常に面白い記事なので、ぜひ上のリンクを見てみてください!


私が楓の存在を知ったのは、他愛もないですが3年前の国会図書館の検索です。
 スピリ原作で古くてわけのわからない本があったので、ものはためしでノコノコ霞ヶ関へ出かけていって、閲覧請求出しましたら監視付の特別室につれていかれ、「ここで見なさい」と表紙のとれたボロボロの本を渡されました。
 これでは番組に使えません。(トレビアなんて番組なかったけど)
 中をみて、「へぇ〜へぇ〜、こりゃハイジだ!」とびっくり。
 次に面白くてニコニコとしてしまいました。


このページに一部載っているのですが、めっちゃ原文読みたいです。
神保町で探しても出てこないかなぁ……。

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追記。
上記ページに、一般的な訳と楓物語での同じシーンの描写があります。
ちょっと面白いと思ったので、ズイヨー製作のアニメ版ハイジの同じシーンをDVDで見て、聞き取りしてみました。

[野上訳を少しいじったもの] 上記ページの抜粋を少しいじったもの。
書き方自体は大正時代なので古いが、ほとんど今でもそのまま通じる傑作。これはどこかで読めるかな

「着物の包みを持つておいでよ。」
「わたし、あんな着物なんかもういらないのよ。」
「この子はなかなか利口だ。」「なんだつて、もう着物がいらないのだ?」
「だつて、わたし、細い、軽い足をした山羊たちと一緒にとびまわりたいんですもの」
「ぢや、好きならそうしていい。でも荷物だけは持つておいで、戸棚へしまわなくちやならない」


[ズイヨー版ハイジ]

映像があるぶん簡略化されていますが、野上訳にかなり近いです。

「お前は、あれ(着物のこと)を持ってきなさい」
「もういらないの」
「ん?……変わった子だな、お前は。どうしていらないんだ?」
「あたし、ヤギのように駆け回りたいの」
(メエ、メエ~と、本当に四つん這いで駆け回ってみる)
「うん、だが着物は持ってきなさい」

[楓物語] 上記ページの抜粋です。
わざと、当時のくだけた文体を使っているのがわかります。
また、ふりがなをしつこいほど多用していて、ひらがなが読めれば全部読めそうです。

『その(つゝみ)()つて御出(おい)で』(中略)
『モー()らないんだよ』(中略)
利口相(りこうそう)だがな。(中略)何故(なぜ)()らないのさ』(中略)
『山羊と一緒(いつしよ)()()いんだもの』
御驅(おか)けな、だつて着物は持つて御出(おい)で! 戸棚(とだな)に入れとくんだから。』

アニメがここまで原作に沿っている事に少し驚きました。もちろん、もみの木やキリスト教の描写などは、そうはいかないのはわかるけど。それにしても一語一句違わないとは。
面白いですねえ ^^

ファンタジックな日本のラブホテル:画像ギャラリー | WIRED VISION

こういうところは利用した事がないんだが……
確かに、こんな空間に写真家が迷い込んだら、魅せられるわな。特に海外のカメラマンならカルチャーショックに目を疑うだろう。

てかこの写真集欲しいぞ。面白そうだ。

ファンタジックな日本のラブホテル:画像ギャラリー | WIRED VISION

iPhone電子ブックリーダーが「発禁」に:理由はインドの古典 | WIRED VISION

iPhone電子ブックリーダーが「発禁」に:理由はインドの古典 | WIRED VISION

ようするに「ボクが気に入らないからだめだよ」。一社独占による弊害の象徴のような話だ。
しかし、iPhoneの扱いがよくわかる。つまりコンシューマゲーム機のノリに近いんだな。ジョブスの描いた「誰でも使えるウェラブルなコンピュータ」ではないということだ。

iPhoneを、いわゆる Knowledge navigator へのひとつのカタチと位置づけるなら、こういうバカな規制をする前に一言付け加えるべきだろう。つまり「遺憾だが、これを使うと性的コンテンツも閲覧できてしまう。子供たちをアダルトコンテンツから隔離できる技術が確立するまでは掲載させられない」という文面だ。

ついでに言うと、iPhoneアプリの承認に一貫性がなく「いいかげん」なのは以前から言われている事だ。これは「好意的に解釈すれば」柔軟に対応可という事なんだけど、現実にはジャイアニズム全開で「ボクの言う通りにするんなら、まぁ掲載させてやってもいいよ」となっている。今回のはそのいい例だろう。私もそうだ。社命で作れと言われない限りiPhoneものは作らないし、自分でもユーザーにはならないと思う。
自由を束縛されるのは我慢ならない。たとえ冷たい逆風でも、外の自由な風の中のほうがいい。

プラットホームとして魅力的な素材だけに、本当にもったいない話だ。

2009年5月24日日曜日

ハイジのバッドエンドを描いてみたいものだ

「その後のハイジ」と何人かの人が描いているのだけど、原作者が残しているのはクララ編まで。それ以降の、ペーターと結婚したり先生になったりしているハイジはすべて、後日描かれた誰かの二次創作です。
まぁ、それを言うなら本来のハイジは山に帰るまでで、クララがアルムにきたりするあたりは、本編が売れてから作られたセルフ二次創作という話もありますが、まぁそれはそれ。

で、ふと思ったのが「バッドエンドハイジ」を描いてみたいというもの。
フランクフルトで、ゼーゼマン氏たちの決断が遅れて手遅れになり、フランクフルトの病院でひとり亡くなるハイジとか。

でも究極に描いてみたいのは、フランクフルトに行かなかったハイジ。
それは不幸な話だったが、だけどクララの事やおんじの事を思うと、フランクフルト編は確かに必要だったわけで。
これがない場合、いつか、おんじとハイジの生活は破綻を起こすと思われるので、それを描いてみたいわけだ。

パターン1。おんじ死亡。
 問題は残されたハイジ。ハイジがまだ小さければペーターの家にいく事になるのでしょう。少なくとも、おばあさんもペーターも放っておくわけがない。ハイジは山に登れず(のぼれば山小屋を回避できず、おんじを想って泣くことになる)しばらく苦しむが、立ち直ればまた元気になり、そしてそのままペーターの奥さんに。
 ……なんだ、結構そのままでも幸せになれるかもしれない。
 しかし、ある歳になってからだと厄介だ。なまじ大人になって山小屋の切り盛りが可能になっているがゆえに、おんじの後をついでそのまま住んでしまうかもしれない。
 たったひとりで。おんじの女版のようになって。
 
パターン2。思春期のハイジ。
 いかに就学が遅れようとも、いつかはハイジ本人の意志で外に出ようとすると思う。なんたってハイジはあのおんじの孫なのだから、一度暴走をはじめると祖父のおんじですら止められない。
 だけど、それがおんじとの別れの日となるのかもしれない。

うむ。想像すると楽しそうだなぁ。

その後のハイジの予想爆笑画像

ファンのサイトでいくつか見たのですが、やはりこれが個人的に究極の一枚だと思います ^^;;
既にメンテ停止している「跡地」のようなので、できれば直リンでなく画像をいただいてリンクつきで掲載したい。ですが、画像の使用許可を求めたくてもメアドがないのでわかりません。あとで判明次第お願いするとして、今は直リンにしておきます。

http://members.at.infoseek.co.jp/alps_annet/meigeki/heidi_frame.htm

上記の記事の後日談より。



ぶはっ! ^^;
この一枚の絵がふたりの未来図を非常に物語っています ^^;
てか、飲み物飲みながら読まなくてよかった ^^;;;;

記事本体も非常に面白いので、ぜひ読んでみてください。おすすめです。
この方の記事には原作寄りの記述も多く、宗教色などを徹底排除したアニメのみの感覚で見ると違和感を感じるかもしれませんが、なかなか秀逸だと思います。私とは違う視点で、非常によく見ている。

すでに更新停止されているとは。おしいなぁ。

2009年5月23日土曜日

ハイジ第33~36話感想

前回の続き。こちらは有名な幽霊騒ぎから帰郷直後のまでのハイジです。

まず演出。このあたりはもう神演出としか言いようがない。
これを見た小さい時は「やっとハイジが山に帰るんだ」と喜んだ記憶があるんだけど、今、大人になった自分の目線で見ると、幽霊騒ぎのあたりなんてもう…。
てか、一桁(本編終了時点でもハイジは十歳にすらなっていない)の女の子にこんな想いをさせるなんてひどすぎる orz
本気で泣けた。

夢遊病のところ、今の目で見ても全然色あせてない。それどころか、当時は理解できなかったり気づかなかった緻密な演出や悲惨さに胸が潰れそうだった。てかこうして書いてる今ももらい泣きしそうだ。
夢の中でアルムにいるのだけど、その山小屋の風景すら神だ。誰もいず、荒れ放題の廃屋のような家の中はハイジの心象風景そのものなんだろうけど、そのおかしさを認めず、おんじとヨーゼフを探す姿。BGMの夕焼けの歌にも虚ろなエコーがかかっている。ハイジのメンタルヘルスが最悪の状態にあるのが非常にわかりやすい。これはいくらなんでもやばいだろう、と誰の目にもわかる。
しかし、当時これを子供と見ていた大人たちはギョッとしたんじゃないだろうか?

この前後の描写も凄い。
帰郷を知らされたハイジの顔色はみるみる変わっていく。真っ白で病的そのものだった顔も、クララと分かれるころには頬の赤さを取り戻しかけているし、一話のタイムスケールのわずかな時間の間にも、まるで別人のように元気になっていく。
あの今にも死にそうにやつれていたハイジが、マイエンフェルトからこっちの元気なこと元気なこと。
よかった、よかったなぁ……涙腺はもうゆるみっぱなしである。
「ありがとうセバスチャン。でも、山が嫌になんて決してならないわ」
いやま、そりゃそうだろう。
ここまで「故郷」として山が心象風景に刷り込まれてしまった人間が、その山を嫌いになれるわけがない。たとえその一生に何があろうとも。

ちなみに余談。
子供の頃に全く気づかなかったのが、おんじの行動だ。
帰郷直後のハイジは何話かの間、言動や行動が明らかにおかしいんだけど、それを見守るおんじの姿がものすごく印象的。細かいところまで本当に気を使っている。

ここまでリアルに演出していたんだなぁ。今の目で見ても驚くばかりです。

ハイジ第九話『白銀のアルム』十話『おばあさんの家へ』

ずっと欲しかったのだけど、1000円以下でみつけたのでゲットする。
DVD第三巻と九巻。その中から、第九話と十話の感想。

ペーターとハイジの対比が面白い。
歩いて山小屋にいったペーターの手は氷のように冷たい。
対して、ペーターの家に遊びにいったハイジの手は暖かい。おんじが大切に送っていったからだ。
いかにハイジが可愛がられているかがよくわかるシーンだと思う。ふたりが住んでいるのは登山道の最中のようなとんでもない場所なのだから。
(おばあさんはその意味に気づかないが、これは何年も盲目で外に出てないから気づかないのだろうと思われる。
また、おじいさんやハイジは創作だが山小屋は実在する。夏はともかく冬場はとんでもない場所のようで、暖かい手のままで下山するのは非常に難しいと思われる)

ハイジはおんじの実の孫娘であり、しかも本質的にハイジの性格はおんじのそれを色濃く受け継いでいる。優しくて頑固でゴーイングマイウェイなところなんか、確かにこのじいさんの孫なんだとよくわかる。
おんじが可愛がるのも無理もないが、同時にハイジが村人と関わるのを快く思わなかったのは自分のエゴだけではあるまい。
第二話の時点で、おんじはハイジを「あの子はちゃんとわかっておる」と感心している。この時点で、おそらく村人や義理の姪とハイジが違うことに気づいていたのだろう。彼はその孫娘のユニークな特性が非常にお気に入りだったから、それを歪めるのを嫌がったのかもしれない。

そのユニークさ、そして「確かにこのふたりは祖父と孫娘なのだ」というシーンはまもなく結実する。
おんじがいつのまにか木の下にも椅子を用意していて、ハイジがひと冬せっせと餌付けした動物たちとくつろいでいたりするシーンがある。ちゃっかり便乗しているのも凄いが、動物たちを決して警戒させないあたり、なにげにこのじいさんも過去にハイジと同じことをさんざんやったんだろう。なにしろ、風や雪にまで話しかけてしまうほどに孤独な生活をずっとしていたようだから。

しかし、こんな環境にあたりまえに順応して育てば……そりゃ都会でホームシックにもなるわなぁ。
デルフリ村ですら通年ではきつかろう。

なお余談だが、アニメでは語られないその後のハイジの設定というと、あのフランクフルトのお医者様である。彼は原作ではハイジを尋ねてたびたびアルムを訪れ、おんじに、自分が死んだ後にハイジの後見人になってくれと頼まれ承諾している。そっちは読んでないのでよく知らないのだけど、最終的にアルムの方に家をもって転居したはずである。
もっとも、これらはハイジ本編からすると完全に蛇足だろう。

もともと原作のハイジはフランクフルトから帰るまでで、その後は原作が有名になってから追加された後日談(ようするに、作者のセルフ二次創作に近い。最初からあったストーリーではないようだ)であって家族の評判も悪かったそうなんだけど、この話には私も同意する。
個人的には、帰郷後のエピソード好きではない。「クララが立った!」は有名だけど、ハイジ最強の感動シーンは、幽霊騒動まわりから帰郷にかけてのラストだと思うからだ。
そこらの感想もあとで書こうと思う。

『メビウス』を検索する時の綴り(欧文文字の取扱い)

シャープのパソコン『Mebius』やウルトラマンのおかげで、メビウスの綴りは「Mebius」という事になっている。まぁ頻繁に使う単語でなし、特にそれで問題ないと思う。

だけど、より多くの情報をググりたいのなら「Mebius」ではダメだ。本来の「Möbius」またはこの代用である「Moebius」で調べないとダメと思われます。
(ö == oe)

なお、Linuxで使いたい場合は [composeキー] + 「"」 + 「o」 で打ち込めます。「うむらうと・おー」と覚えるといいかも。日本語キーボードにはcomposeキーがないのですが、GNOMEのキーボードメニューで、右altなどを割り当てるのが一番楽なのでおすすめです。

ただし、古いLinuxもしくはFreeBSDのように日本語環境がEUC-JPになっていると、composeキーで欧文文字が打てるかどうかは私にはわかりません。これは該当のOSにしたがう事になります。

Windowsでは不明です。まさかコピペ以外に手がないわけではないと思うのですが……。
やはり今も、ドイツ語などの欧文配列に一時的に切り替えるのかな。わかる人、いい方法がもしあったら明記したいので教えてください。 ^^;

ようつべの円谷チャンネル

Youtube:円谷チャンネル

個人的には、メビウス第一話『運命の出会い』をいれて欲しいなぁ。
あれは、ウルトラ世代の「元男の子」たちにはある意味鳥肌ものだ。

そもそも、メビウスはいろんな意味で「あざとい」作りになっている。なにより、

・ウルトラマンも怪獣も現れなくなって25年。ウルトラマンの存在は伝説化し、防衛隊への入隊資格は「持っていると就職なんかに有利」なものと成り果てている。
・当時の子供たちがお父さんお母さんになり、子供たちは「ウルトラマンの話」を帰化されつづけているが実際に見たことはない。

このあたりが、現実の日本と見事にリンクしているのが凄い。

確かに平成にもウルトラマンは作られている。だけどそれは昭和のものとは全く別系統のもので、よくも悪くも「昭和ウルトラ以来ウルトラを見てない」層は多かった。何を隠そうわたしもそのひとりだ。

だからこそ、メビウスの第一話は強烈なのだ。

25年の歳月を越えて、平和な地球、しかもよりによって日本にやってくる怪獣ディノゾール。戦い慣れていず通常の武器しかない防衛隊はたちまち、たったひとりを残して全滅してしまう。
もうだめだ、というその時に突如として降り注ぐ光。見上げる人々。怪獣でさえその異常に気づいて動きを止める。
そして、彼らの目の前に巨大な、そして伝説となったウルトラマンが出現する。
口をあんぐりと開けて固まっている人々。「マジかよ」とつぶやく青年、一瞬遅れて感激のあまり、怪獣の恐怖も忘れて写メール撮りまくる人々。

ああ。本当に帰ってきたんだなと思った瞬間だった。
あれは、私たち往年のウルトラファンにしても「運命の出会い」だったんだと。

2009年5月20日水曜日

大失敗の告白

きいてください。ある日の大失敗の話です。
まぁ、よくあるケアレスミスではあるのですが。

SchoolDaysの壁紙が欲しいなと思ったんです。
まぁその時点で間違えてるだろうとか、欲しいのは心ちゃんだからSummerdaysだろうとかそんな誤解を招く話は置いといてですね、とりあえずGoogle様で探すんですが見つからないんですよ。で、しばらく悩んだあげく、某blogを見て探していて、ふときづいたんです。

そう。キーワードが『鮮血の結末 壁紙』だったんです orz
ネタじゃなくてマジで。
それで問題ないと思って検索してたんですよぉ。 orz

あの瞬間「ああ、私は病んでいる orz」と実感したのでした。

2009年5月18日月曜日

ノートパソコンの方のデスクトップ画面


Ubuntu9.04 なのだ☆ :D

2009年5月17日日曜日

ぶわっははは(^^;)

地球を制服」っていう古典ギャグがある。「ふとんがふっとんだ」に匹敵する古典であり、この手のギャグは漫画家の(*1)大野安之氏や(*2)鳥山明氏のように、そのばかばかしさ自体をネタにするほど使い古されている
同様の超古典バカネタに「いもうとコントロール」というのがある。もちろん「リモートコントロール」のもじりで、地球制服だの内臓がないぞうに匹敵する古典バカギャグのひとつであるが、

本当にパソコンソフト作るなよ(^^;)

「実妹がない男性に限り無償」というライセンスが「わかってるなぁ」と思い、同時に「わかってねえなあ」とも思う。そりゃ現実に妹のいる妹萌え男なんて存在するわけがないと言いたいのはわかるけど、そもそもそいつはリアルと現実の区別がついてないか、あるいは「シャレをシャレと理解しろよ無粋な」と言いたくなるのは私だけなんだろうか。

しかし、よくやるなぁ。

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(*1:『That'sイズミコ!』で使用)
(*2:『ドラゴンボール』で使用)

2009年5月14日木曜日

「なぜ経済の豊かな日本で子どもが減るのか?」 少子高齢化世界ワースト1位の日本に海外から強い関心

「なぜ経済の豊かな日本で子どもが減るのか?」 少子高齢化世界ワースト1位の日本に海外から強い関心

1. お金がないから。
2. もともと恋愛下手な国民性なのに、恋愛至上主義を煽りまくって、お見合いの風習を絶滅に追い込んだから。
3. 国が、子供減らし政策を続けているから

こんなところですかね。

はっきりいって、これだけ子供のいない事を以前から問題視しているわりには育児助成が異常に少ないです。自治体レベルの小さなものと奨学金制度くらいでしょう。
ちなみに、海外で子供不足を嘆いているような国では産婦人科はすべて無料、学費は大卒まで無料なんて国もあります。それも先進国がどうとかではなくて、人口減少を問題にしている国では、少なからずやっている事。
これはさすがに無理かもしれない。
だけど、よい人材の育成は国家の繁栄の急務のはずだ。金かけて損はない。
確かに地固めも大切です。まったくの無駄に見えるODAだって、もしかしたら意味のあるものも中にはあると思います。
だけど今は、よそにかまけている余裕なんてない。ケツに火がついててボウボウ燃えてるんですよ!わかってんのかな。

そもそも、「男女共同参賀」をぶちあげつつ、なおかつ出産や子育てについてのフォローをしていないって時点で「子供作るな、増やすな育てるな」と言っているのと同じ事です。

男も女も関係なく社会で活躍できる、これは確かに大切なことだ。
だけど、核家族時代と呼ばれてもう二十年じゃききませんよね。夫婦しかいない家で夫婦両方とも働いてたら、そりゃ家に誰もいないじゃん。誰が子育てするのよ。
主婦が駄目なら主夫でもいい。だが、最低どちらかが居なくちゃ駄目でしょうに。
そこらへんをずっぽり抜かしてて、どうしろと。
(リタイヤした祖父祖母に預けるという話は昔からあるけど、これは誰でもできる事ではない)
まずは「子育てするなら日本が1番」と世界中から羨ましがられるくらいに環境整備するべきなんじゃないの?

お見合いの話。
昔は、ある年代まで結婚しないと周囲が無理矢理でもくっつけたんですよね。それが昭和の終わりと共にぷっつりと無くなった感があります。
ちなみに「一定の年代に達すると」という感覚は日本独自のものではないようです。たとえば映画『ポセイドンアドベンチャー』なんかにもそういう世話好きのおばさんが登場しますし、周囲も奇異とも思っていません。世界共通かどうかはともかくわりと普通、あるいは当時は普通だったんでしょう。

価値観の多様化で「結婚したいと思わない層」が増えているという意見もあります。
が、これについては昔は周囲がくっつけてしまうケースも多く、2に関連すると思われます。
結婚しようとしない奴というのは昔からいたわけですから。芸事に一生を捧げちゃってるタイプとか。

うん。いろいろと問題がありますね。
とりあえず今やるべきは「子供増やしやすい」環境の整備、それから子孫繁栄を重視するプロパガンダを長期戦略で進めることでしょう。
あと、この政策はその性質上、日本人むけに進めるものですから国籍の確認が必要ですね。日本国内にいるからと外国の方に使われるのは困る。みみっちいこと言うなと言われそうですが、最終的にかなりの額の血税を投入する事になりますので。
悪用される危険が多々ありますので注意が必要でしょう。

メモ「ひねもすのたりのたり」の意味

「ひねもす」を漢字変換にかけると「終日」と出る。
由来らしいものは、ここにありました。

http://www9.ocn.ne.jp/~artdiki/koubou/gengo/gengo1.html


「ひねもす」~一日中という意味であります。
ひめもす・ひめむすとも言われ「日の目もすがら」が変化した様です。
「すがら」は過ぎると同じ語源で時間の経過を表します。
「一日中」「日もすがら」と比べて「ひねもす」と言う
言葉の響きにはどこまでも のんびりとした風情が漂ってる。


うむ。
無学・浅学な私は以前、あずまひでおのギャグだと思っていた……恥ずかしい話です。

2009年5月7日木曜日

プチフリSSD悲哀

このGWに64GBのSSDを買ったのだけど、いわゆるJMF602搭載SSD(プチフリSSD)と買ってから気づいた。
まぁ問題なかろうと高をくくっていたんだけど、以下で致命的な問題が起きた。

1. Linux側で使用中、唐突に通信できなくなる。

無線LANドライバかTCP/IPスタックのどちらなんだろうか。キャッシュに書き込もうとするのが書けないためにそこで刺さることがあるようです。
特にyoutubeなどでは通信中、唐突にダウンロードが止まってそれっきり再開しなくなったり、
かなり致命的。

2. SecondLifeビューワ(Windows版)を使っていると、ドライバの致命的エラーからゼロ番地ジャンプを起こす。

こっちは本気で最悪。いきなりリセットで再起動ってことなので。

とりあえず、欠陥SSDなどが排除されるくらいまで市場が安定化するのを待ちましょう。
さっくりと元のHDDに戻しました。

2009年5月5日火曜日

ナデシコSSにおける、ルリとユリカの見分け方

ナデシコSSというやつで、ホシノルリとミスマルユリカを見分ける方法です。

「そんなもんすぐわかるだろ」というあなたは甘い。SSはアニメではなく文章だけですし、作家が稚拙だったりして前後からよくわからない事がたまにあるのです。そんなもん読むなと言われたらそれまでなんですがね。

で、こんなかんじです。

[ユリカの特徴]
アキトにタメ口をきくのが最大の特徴です。アキトとわかってからは敬語は全く使わず、むしろお姉さん風すら吹かせつつ極度に馴れ馴れしい。
また、破天荒なイメージがあるけど実は規則にうるさく、きちんとした上で計画的にぶっ壊れるところもあります ^^; あほっぽいイメージあるけど、むしろ「なんとかと天才は紙一重」というタイプと言えます。

[ルリの特徴]
どんな状況だろうとアキトにタメ口はききません。がっつり敬語全開。特にオモイカネ事件以降、なにげに評価している事、高い評価や何気に惹かれている事すら隠さなくなってからは、本当に丁寧に応対するようになります。
逆行の結果同年代や年上になってしまっているSSもあるのですが、ルリっぽい雰囲気を残そうとするとやっぱりタメ口にしない事が多く、やはりユリカより丁寧な口調になります。TVシリーズ初期の「生意気で醒めたガキ」のイメージが残っていることもありますが、きちんと描いたSSだとあれは出さない方が多いようです。

このへんを思いつつSSを読んでみると、またおもしろいものが見えるかも。

なお、どっちも女の子の友達は多くなさそうなタイプですが……同性に人気あるのはどっちなんだろうなぁ。メグミ・レイナードとかの方が普通に人気ありそうだけど。

水木一郎さんを知っていますか

少なくともおじさん世代以上なら、名前は知らなくても声は絶対に知っている歌手の水木一郎氏。そう、かつて一世を風靡した『マジンガーZの歌』にはじまり、熱血ヒーローアニメなどの主題歌を気高く強く逞しく歌い上げてきた、日本の少年たちの『古きよき兄貴』だ。

しかし、水木氏が実は世界一有名な日本人となっている所があるのはご存知だろうか。そう、オンライン辞書サイトのWikipediaだ。なんと91の言語に翻訳されて紹介されており、陛下であろうと誰であろうとこの数には全くかなわない。

この背景には、水木氏が得意とするヒーローアニメなどが世界中で愛されている事にある。
アニメなんてキモいという人だって、男の子という人種が世界・人種を問わずヒーロー好きなのはご存知だろう。『マジンガーZ』や『アストロガンガー』は全世界のどこかで今も流れ続けている。私もyoutubeで以前、ガンガーのアラビア語版の録画を発見して驚いたことがあるが、本当に世界中で愛されているのだ。私は、遅れた地方放送のガンガーですら最終回の一瞬を記憶している程度でしかないのだけど、それでも主題歌は覚えている。今でもカラオケで熱唱できるくらいは ^^; (まぁ今どきカラオケもないだろうが)

ならば、氏がここまで人気なのもわかる気がする。

没にした某所の書き込み

も、速いの使ってたら戻れないと思ってた。本当に心の底から思ってた。

なみにだけど最近、木造からフローリングの部屋に引っ越したところ、
くらデスクトップが快適でも、その轟音が五月蝿くて仕方なくて、
すがに買って損したと思ってた古いマシンが、今や「持ち運べるメインPC」という有様。
いさ、もう戻れんし戻ろうとも思わない。
PCは性能だけではない。
き嫌いは激しいというか、目的にあうかどうかで意見は違うのだろうけど、
らいでないのなら、速さより静けさをとるのは悪い選択ではないと思うのだ。

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縦読みですね :D

2009年5月3日日曜日

悪魔はひとを殺さない。神様はひとを殺す。それは当たり前です

http://labaq.com/archives/51196207.html

神様がひとを殺しまくり、悪魔が十人しか殺してないというのはむしろ当然だと思うのだけどね。

悪魔の仕事はひとを殺すことではなく堕落させる事なのだから、生きて神の道を踏み外さないと意味がない。だから殺さず、むしろ(現世での)救いを与えたりもします。

でも、神様には当然そんな縛りはない。いやむしろ、どうしようもなく堕落してしまったら街ごと消してしまってもいいわけで。実際、聖書では街ごと焼き払ったり滅ぼしているケースを散見できます。
近年は神様の慈悲だけを声高に叫びますが、本来神様はそうじゃないでしょう。神とは許すものでありますが、同時に裁くものでもあるはずだ。

悪魔は善意と救済と、そして歓びと安息をもってやってくる。
すべては、ひとを堕落させるために。

神は悪意と試練と、そして苦痛と不安をもたらす。
すべては、ひとの中から救うべき「忠実な子羊」と堕落する人を分けるために。

そこんとこを勘違いしているひと、多いのではないかな。
キリスト教徒でない私なので間違いがあるかもしれないけど、悪魔ってそういうものではないのでしょうか。どうでしょう(求む、キリスト教の方のご意見 @@)

2009年5月1日金曜日

ソニーの話。それ僕も経験あります:D

http://www.systrat.co.jp/myview/articles/artc011101.html

(引用です)
まず1つ目は、先日、「コンサルタント日記」でも書いたことです。
1kgを切る軽さのソニーバイオC1は、屋外で使うことを提案しています。ソニーのホームページでは「連れ出して映像で遊ぶ。音楽で遊ぶ」と屋外使用を前提にしたキャッチフレーズがあります。
確かに、旧バイオC1のパンフレットを見ると、65枚の写真のうち63枚が屋外での使用シーンでした。

しかし、ある雑誌でこの旧バイオC1の電池が1~2時間程度しか持たないことが指摘され、それに対してソニーの広報からのコメントが掲載されていました。

「パソコンを外に持ち出すなんて幻想です。だから、1~2時間しか電池が保たなくても、問題はないはずです」

さすがの私もびっくりです。
自分たちが提案しているものが「うそだぴょ~ん」と、生活者に舌をぺろりと出す会社なんて初めてです。
そういう意味で言えばソニーは非凡な会社です。他の企業がやりたくてもやらないことを平気でやってのける。


あ-、そういうの私も経験あります。
ずっと昔、ここの短波ラジオを使ってました。PLLシンセサイザー同調という強烈なやつで、頑張ってアルバイトして買ったものです(もっとも、当時の実家の経済状況を考えると大顰蹙ではあったのですが)。

ところでこのマシン、性能はいいんだけど選択度がイマイチ悪い。大きさのわりに音質はいいんですけどね。
細かい説明は端折りますが、選択度が悪いと混信が増えてしまう。かといって選択度を絞り込むと音質がとても悪くなるので、当時のナショナルの高級ラジオなんかでは選択度を絞り込むスイッチがちゃんとついてました。
で、いい方法はないか、アンテナカップラーやループアンテナなどで回避する方法はあるかとソニーに質問したのです。私は当時、工業科にいた事もあり、おそらくそれも書き添えたと思います。

返事は丁寧なものでした。子供と適当に流さず、ちゃんと書いてよこしてくれました。
が、結論は簡単にいうと「当社の選択に問題はありません。我慢してください。電波が弱い場合はこれをどうぞ」と自社のオモチャみたいなアンプつきアンテナのパンフつき。
いやぁ、あれは腹たった。
だって、こちとらアパートの屋上に数十メートルのアンテナを張り巡らし、とんでもない遠方からFEN岩国など受信できる環境を構築していたからだ。その事もきちんと書いてあったにも関わらずさっくり無視してくれているし。
だけど、その理由もわかる。
たぶん技術陣は、マッチングをとってみる事やループアンテナ、カップラーの使用を勧めたかったんだと思う。だけどそういう「おしゃれじゃない」機械はソニーは売って無くて、ことごとくナショナル製品にそれが存在したからだ。
だからこそ営業で待ったがかかり、お茶を濁すような返事になったんだと思う。

ちなみに当時、ナショナルの方がむしろ紋切り型な返事だった。なにしろ白黒コピーのパンフを送ってきただけだったからだ。
だけど今にして思えば、ちゃんとカップラーやBCLラジオ、ループアンテナのものだった。必要と思ったものをしっかり送ってきたのだから、それはナショナルの勝ちであろう。

そして今。うちにソニー製品は存在しない。

視点が違うだけだと思う。

【解説】Linux OSネットブックの普及を阻害する、「イヤなうわさ」と「信憑性」 : IT業界動向 - Computerworld.jp


「Windowsだと思って買ったら違うデスクトップだったので返品」したからLinuxモデルは返品率が高い、だって?
「いったいどこに目ぇつけてんだ」と言いたい。
これは「顧客はWindowsだと思って買ってる」わけなので販売側のやり方がおかしい、あるいは顧客がアホなだけだろ。
Macを買った奴がWindowsじゃないからと返品したら「Macが返品された」と確かに言えるが、それはMacのせいではないだろう。
店頭で、売りたいがために店員が「Windows (OKだ|問題ない)よ」(確かにOKだろう。インストールされてないのだが嘘は言ってない)と言って買わせているのかもしれないし。

ネットブックについて私はPCの広がり方と違う、というのは前から言っているのだが、これにはもちろん理由がある。

ネットブックの使い方に関する個人の記事をネット上で散見するに、ほとんどPC感覚で使ってないのが散見されるからだ。あるいはそれが「本来の個人用PCの使い方」なのかもしれないが、単純に持ち歩き便利なネット端末として利用しているようだ。
携帯電話のOSがなんだろうとか、普通のひとは気にしないだろう。それと同じで、この手のユーザはネットブックの中身がWindowsだろうとなんだろうと気にしていない。極端な話、アマゾンやイーベイが使えれば問題ないわけだ。
あくまでPCにこだわり、変な話を振りまいているのは米国・韓国・日本のPCユーザー勢だろうか。あるいは、余計な仕事増やしたくないPCメーカーや販売店・代理店の関係者かもしれないけど。

だけどこういう声を気にしない自分の目をちゃんと持っている人は、自分の用途にあうかどうか考えた上で買っているだろう。
私はネット生活で「どうしてもWindowsでなくてはならない」という事態に出くわした事はほとんどない。パソコン生活では「携帯電話の住所録をパソコンでいじりたい」というのがあったが、そんなものネットブックの狭苦しい画面でわざわざやる事じゃないだろう。少なくとも私はそんな使い方はしない。
逆に、ファーストフード店や図書館で携帯電話の住所録をいじりたいという人はWindowsモデルを求めればいい。これらは大抵、日本や韓国のメーカーのものはWindowsでしか動かないからだ。