2009年3月31日火曜日

ポメラの使い勝手・移動編

ポメラの使い勝手について。

予想以上に使えるが、これは「いざという時にないと困る」タイプの機械と言える。裏返すと普段は鞄の中で放置かな。

1番これが役だったのは出張の移動時だった。

飛行機などを使うと待ち時間があるし、ローカル線の電車ならばさらに時間が余る。特に後者では電源もなきゃネット環境も充分ではない。最低限の通信を頑張ってノートPCでやってしまうと、あとはノートを止めなくてはならない。数時間の移動にバッテリーが耐えられないし、だいいちいくらローカル線でも、余程空いてないとフルサイズのPCは人様の邪魔になるからだ。とどめに田舎の細い線では、AIR-EDGEでメールの確認でもしたら、もういっぱいいっぱいだ。

ここでPCをとりあえずシャットダウンしてポメラに切り替えた。
そうすると非常に快適だった。何よりバッテリーの心配など全くいらないし、いつもと違う電車の中で創作意欲は爆発していた。がっつり進んだ。
久しぶりのときメモSS『紐緒博士の午後』は、徳島線に揺られつつポメラで書いたものなのだ。SSの設定にある、たそがれ日本のイメージは徳島線の風景に実にぴったりだった。
なお、目的地の近くはイーモバイルが通っていたので、もうここまできたらOKというところでノートPCに戻った。ポメラからさっくり文書を吸い上げ、校正をした。到着前にはほとんど完成に近くなっていて、最初の更新は土讃線の中から移動中に行うことができた。

ね、こういう使い方ならばOKでしょう?

うんうん。でもそれは一般的ではないね

ちょっと面白い記事があったので批評。去年のものだ。

http://allabout.co.jp/computer/notepc/closeup/CU20080708J/


この上倉賢なる人物は筋金いりの廃人型PCモバイラーか、仕事上の都合で「高かろうがPCを持ち歩くメリットには代えられない」環境にいたかのどちらかだと思う。この人に言うことは確かにある意味正しいのだけど、金銭感覚では彼よりたぶん庶民よりの私としては「いつ落としてパーにするかもわからない、ウェラブルに近い使い方をする機械に20万円もかけるほど酔狂ではない」としか言えない。普通の人の感覚はむちろこちらじゃないんだろうか。この人の感覚は正直ネットブックを買う層の思考とはズレすぎていると思う。

ネットブックを買う層は大きく分けて二種類いる。ひとつは既にPC環境のあるものが割り切って買うパターンで、もうひとつは、今使っているPCは10年前に買ったナショナルだよ~なんて層だ。

前者は特に言い添える必要ないと思う。経験者は自分に必要なものがわかっているのだから、リスクも自分もち。わかっているのだから他人が余計なお世話をする必要はない。

ただ日本では後者のユーザーがまるで無視されていることが多い。この人の記事も典型的なそれだ……あるいは富裕層むけでパンピーなんかハナから無視しているのかもしれないけどね。

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機械というのは、車検のある自動車を除けば壊れたり不調になるまで使うものだ。次のOSが出たから乗り換える、なんていうのは言うまでもないがマニアの話であって一般人はそんな頭のおかしい事はしない。不調になったり壊れた時、あるいは買おうと思ったソフトが動かない時などだろう。PCだけが例外なんてのはありえないわけで、一般人は普通の電化製品のように型落ちで賢くPCを買い、使い倒しているわけだ。
そういう人にとっちゃネットブックは悪くない。特に買い換えスパンの長めの人にとってはネットブックだって十二分に高性能だ。彼らはやりたい事ができればそれ以上PCなんぞに求めやしないので、最初から割り切りもできている。外で映画が見たいなんて考えもしないから、別にドライブがなくても困らないのだ。

最後に余談。
このライター氏はPC廃人型のモバイラーであると書いたが、これは間違いではないと思う。彼が私生活でどうかはわからないが、少なくとも彼の記事はモバイラーの意見と考えるべきではない。
理由?簡単だ。
この記事の時点では日本でiPhoneは売られてもいないのに、それをやたらとべた褒めしているからだ。個人輸入して使っていたのを自慢したいのはわかるけど、この記事の日付からすると提灯記事の匂いがする。

モバイルに決まった方程式はないと思う。彼の選択肢も確かに有りだ。
が、てめーの意見を書いてない記事は参考にするだけ時間の無駄だろう。

2009年3月30日月曜日

はるな愛をめぐる夫婦の性認識の相違について

うちでは珍しく時事の話題。
(まぁ、うちの創作内容には少し関連しているが)

陣内智則と離婚した女優、藤原紀香と親交があるタレントに、はるな愛がいる。
なんでもない事なのだけど、彼女を巡るエピソードでちょっと興味深い話がある。
藤原紀香とはるな愛が一緒にお風呂した時、陣内は内心複雑だったと明かしているものだ。

ご存じとは思うが、はるな愛はTS、つまり元男性である。また「結婚するまでは男性名でいるのが親孝行」として戸籍上の名前は男性のままだという。もっとも藤原紀香が一緒にお風呂したという事は、少なくとも彼女ははるな愛を女性として認識しているという事だろう。
陣内もある点までは同じだろう。しかし「お風呂」となると止めないまでも複雑だったということは、はるな愛に対する陣内の性認識は、紀香のそれとは少し違うという事になる。

この種のセックス・マイノリティーに無頓着な方だと「男じゃん!だめだろ紀香」と言いかねないところだが、性自認とか認識とはそういうものではない。はるな愛はどう見ても性自認は女性だろうし、既に性別適合手術も受けているようだ。外見からの推測にすぎないが既に男性ホルモン値は成人女性のそれと同レベルしかあるまい。つまり肉体的にも精神的にも男ではない。ちんちんもついてない。

この場合の認識や扱いとはとても微妙になる。
たとえば「基本的に女性と認識しているし雑魚寝も平気だがお風呂は抵抗がある」とか「なんだろうと平気だが恋愛対象にはならないと思う」等である。性の認識とはこういう風に微妙なもので「男!女!」と、すぱーんと区別できるものではない。
たとえば私が陣内の立場だったとしようか。
たぶんはるな愛をちょっとうらやましいとは思うかもしれないが、複雑な心境にはならないように思う。個人的にはるな愛のカテゴリ分類が女性だからだ。
しかし女として性欲の対象になるかというと、これはたぶんならないだろう。
このように、性の認識とは非常にデリケートで微妙なのだ。

まぁ、これでも「だって男じゃん」というのなら、いったいどのへんまでが男でどこから女なのかと問いたい。
医学的にどうというのなら、遺伝子XXの完全な女性であってもその肉体には男性ホルモンが流れているという事を知らないのだろう。肉体的には、男と女というのは単に形成上の問題にすぎない。遺伝子というのは単に設計図にすぎないし、さらにその遺伝子ですら、男性要素や女性要素という感覚はあっても男と女の明確な区別などない。とどめに、(*)遺伝子がXYつまり男性DNAで普通に女性の人だって落語のネタになるくらい普通にいるわけで、男と女の区別なんてものは、むしろ生物学的の方が混沌としていて意味をもたない。
そこいらへんを全く意識せず、まるで魂から異なるかのように考えるのは非科学的な妄想かファンタジーでしかないように思う。そういう意味では、はるな愛は立派に女性だろう。
ようするに、男か女かは本人の、それに周囲の認識の問題であると言える。

もっとも、お風呂の話が事実としても紀香はそこまで認識してはいまい。
夫婦間のことなので当時の心情がわからず推測にすぎないが、単に「別途入るの面倒じゃん。女同士いっしょに入ろう」というアバウトな感覚で入ったにすぎないように思える。
だが、陣内にはそういう感覚がないか、理解したつもりでも認識は違っていたのだろう。つまり「ちんこついてない男」とどこかで認識していたからこそ、ふたりのお風呂を複雑に感じたのだと思われる。

これをして、陣内の了見が狭すぎると思うのか紀香が問題と思うのかは私の言うべきところではない。
だけど性自認や認識を考えるなら、男女差という問題を差し置いてもふたりのはるな愛に対する認識に大きな温度差があるのは明白だろう。
もちろん「夫婦ったって人間同士だから違うのはあたりまえ」である。ただ性の認識とは肉体レベルに近いだけに単純に計れない部分がある。だから、このへんの認識の差異を雑談レベルでもいいからオープンに話し合える環境がなかったとしたら、それは亀裂の原因になりえたんではないかと推測する。
たとえそれが
「こういうのは偏見とわかってんねんけどな。ちょっと複雑やった」
「あー、ひどいそれ」「あっははは」
みたいなレベルでも、である。

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(*: 子供は女性の胎内で勝手に成長するのではなく、その設計図通りに胎児の肉体を組み立てるのは母胎側の仕事です。胎芽の状態では遺伝子以外に雌雄の別はなく、そのまま組み立てるとXX、XYの別に関係なく女児になります。ただXYの場合、ある時期に母胎の判断で男性ホルモンを胎児に浴びせ、それにより男性型への変異が始まるのです。
 この組み立て工程が狂うことにより、遺伝子と肉体にずれが生じます。たとえば母胎に異常があって男性ホルモンが照射されないとXYであっても女児に生まれますし、妊娠時の苦痛を和らげる薬などが悪さをして、XXなのに男性化させてしまう事もあります)

2009年3月29日日曜日

おお、イタリア語だったのか!



前にネットで拾った「dolce memole」っての、とんがり帽子のメモルなのはすぐにわかったけど、何語か全然わからなかった。イタリア語なのかなぁとは思ってたのだけど……

どうやらイタリア語版OPで確定っぽいなぁ。

私、この「Dolce memole」好きなんですよ。CD入手できないかな。

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さて、ついでにこれも載せておこう。



日テレ版の旧ドラえもんだ。
「あんなこといいな…」の今のドラえもんが始まる時、旧ドラえもんの存在を抹殺し、「初のテレビ化!」とマスコミまで全部操作しきって宣伝していたのがすごくショックだったのを覚えている。
TV局ってのは嘘をつき人を騙すものなんだ。
そう、当時小学生だった私は悲しみとともに学ばせてもらいましたよ、ええ。

ん?テレビ探偵団?そんなのずーっと未来のことじゃん。
私は「これ嘘だ。ドラえもんは昔やってた」といって、報道を鵜呑みにした友達に散々バカにされたりいじめられたりした口です。

子供相手の番組で堂々と嘘つくなんて最低だ。
あれがきっと、私がTV嫌いになつていった遠因だと思います。ええ。

伊藤つかさが好きだった。



彼女は昭和42年の2月生まれ。
世の中ではロリコンアイドルなどと言われていたけど、私にとっては身近な「となりの先輩」だった。そう、伊藤つかさは私より年上だったんだ。おまけに、平凡などに出ていた制服姿は、うちの近くにある中学に似ていた。私は国立の中学にいたから通ってなかったけど。
仮にロリコンアイドルだったというのなら、私にとって彼女はロリータでなくアナベルだったという事なんだけろう。

時を戻したいとは思わないけど、白髪の倍賞千恵子が帝釈天におまいりして「お兄ちゃん、御前様やたこ社長と仲良くね」とやっている映像など見てしまうと、感慨もあります。
いつか僕が向こうにいったら、彼らにもう一度会えるのだろうかと。
……無理っぽいな ^^;

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(注:アナベル→ロリータに登場する主人公の少年時代の恋人。彼女と変な形で死に別れてしまったのが、彼女の幻影を当時の彼女と同年代の少女たちに追いかけつづける原因となってしまう)

またまた、キラ☆キラSS書きました。

[行方知れずの子鹿たち・伝説編]

http://mikadics.web.fc2.com/kira2/

前作のSSがどうにもバンドのシーンゼロなので、
きらりのバックバンドのギタリスト視点の話を書いてみました。
前作SSの直前の話です。

本blogの内部リンクメニューから「二次創作部屋」でも行けます。

2009年3月28日土曜日

原石を探す難しさ。

スタ誕の小泉今日子合格あたりの貴重な映像をネットで見る。

すんげえ田舎まるだしだ。しかも歌が超ヘタクソ ^^;;;

ただ、よ〜く聞けば確かに「基礎が全っっっっっ然できてないだけ」というのはわかる。実際、その直後にデビュー時の「私は16歳」の録画も見たけど、聞くに耐えなかったあたりがほとんど直ってるわけで、スカウトはよく見てたということだろうか。

スタ誕は出来レースという話もあったり色々あったとは思うけど、それは違うんじゅゃないかなと今更にして思う。
確かにTV中継の本番は出来レースじゃないかと思う。たぶん予選やリハの時点でほとんど決定していたはずで、TV本番はただのお披露目にすぎない事もあったと思う。
だけど、どのみちどこかで「プロの目で見極め」は必要だったはずだ。田舎まるだしの小太りな女の子の中から「磨いたら売れそうな原石」を探すのは、やはりコネだのなんだのだけでは無理だったと思うのだ。

懐かしい T_T

[おれはご先祖様OP]

http://www.youtube.com/watch?v=xYJEzzhvj0E

もう一生見られないと思ってた。断片でも見られて嬉しい T_T
この歌、今買えないかなぁ。
マリアンにとって石坂浩二が曾祖父にあたるのだが、歴史上彼が結婚するはずの奥さんの写真を見た時の幸せそうな顔と、その後の悲しみ……お約束なのは子供心にもわかってたけど泣かずにはいられなかった。
決して大ヒットしたドラマではないと思うけど、私は忘れられない。

ZERO3から乗り換えできるか?

そろそろW-ZERO3からWILLCOM03に機種変更を狙っているのだけど、ひとつだけどうしても確認が必要だった。

それは「カメラのシャッター音を消せるか」である。

私のZERO3はシャッター音がしない。それゆえに、私のblogで食事メニューなどの写真は全てZERO3で撮っている。シャッター音なんてレストランで鳴らしていたら顰蹙を買うのは言うまでもないからだ。
「Windows Mobileじゃないとダメですか?」いやいやお姉さん、そうじゃないんだよ。
本当はWILLCOM 9とかの方がいいんだけど、静かなレストランで「カシャッ」はできないじゃん T_T 悪ささせないようにワザと音出してるのは知ってるけどさ、こればっかりはね。

そんなわけで調査する。
ふむ、特別なユーティリティーで完全に音を消す事はできるのか。
んー、もっとスマートな方法はないのかね。

.NETで音声いじる方法とか調べてみるか。

2009年3月27日金曜日

キラ☆キラSS『行方知れずの子鹿たち』

http://mikadics.web.fc2.com/kira/

ががーっと書いてみました。
きらりED(2)の未来ですが、ちと暗いってーか変な話です。
変な鹿子ファンの戯言かも ^^;

買った。

今月はとってもクソッタレです orz
ファック 
(使いなれてない感じがすてきだ)

気分はどうだい?

日本一周の時に無くしたから、18、いや19ねんぶりかね?
プレミアついてたが、なんとか4000円におさまった。

♪昨日と同じ今日なんて誰も望みはしない、今日と同じ明日を作ろうとは思わない

……うん、涙出るほど懐かしいっす T_T

2009年3月26日木曜日

キラ☆キラ for Windows on Wine1.0 / Debian lenny

『キラ☆キラ』をDebian lenny+Debian標準のwine環境で動かしたので、レポートを挙げる。




・恩田ED以外のあらゆる全てをコンプリートした。
 (3/26 19:49訂正、恩田EDもクリアしました orz)
・非常に安定している。とても古いPCでも問題なく動いている。
・音声のオンオフやコントロールも問題ない。
・混み合ったシーンで楽曲がちょっともたつく事があるようだ。
ムービー再生がなされなかった。必要なライブラリが足りないだけかもしれないが。
・他の動作は申し分ないが、一度だけ読み込みエラーなどで落ちたことがあった。
・シーン再生は試していないが、画像や楽曲再生はOKだった。

音楽集も注文したが、CDが届くまでの間寂しいので、以下を有効利用しよう。

$ ffmpeg -y -i "キラ☆キラ.mp4" -ab 128k キラ☆キラ.mp3

ん?だからどうしたのかって?いやいや :D

元気だよー!

こちらは、あいかわらずです。
んで、友人の薦めでこんなのをプレイ。

[キラ☆キラ]


主人公たちの所属する『第二文芸部』が今年を最後に廃部となる事が決まった。最後に華々しくやろうという話をしている時、主人公のバイト仲間である椎野きらりが「バンドやろう!」と言い出した事をきっかけに、主人公たちの残り少ない高校生活はガラリと一変する事になる……というのが本作。
ピストルズなどの懐かしい名前も登場する。バンドの時代じゃない、バンドじゃ食えないしバンドマンなんてただの生活破綻者と言いつつロック魂全開に突っ走る傑作だ。
何より『第二文芸部バンド』ってストレートすぎる名前が素晴らしい。パンクでノーフューチャーな感じで実にシットでファッキンで結構!
何よりヒロインたちの背景もある意味パンクだし(特にメインヒロインのそれは洒落になってねえ @@;)、いろいろと考えさせられる部分も多々ある。

そう。
キラキラってのは、遠くから見るとキラキラなわけで近くで見ると決して美しくない。だけど、それでもキラキラはキラキラであって美しいんだと。
青春さわやかなストーリーと見せかけて現実もガツンと突きつける小気味のよさ。
砂を噛むような強烈な鬱ストーリーも中にはあるけど、それでもそうではないんだ!

なるほど、Rock'n Roll!! XD

2009年3月20日金曜日

いろいろ

 久しぶりに普通の家で起きる。
 お年寄りの家なのでテレビ垂れ流しで台所仕事している。ご存知のように私のうちにはテレビがないので、これがある意味とても新鮮だ。
 
 松本人志の映画の話題が流れている。
 朝のテレビから日本映画の話題がガンガン流れているのは結構レアに見える。最近では普通なのかもしれないと思うのだけど、紹介されているのはかなりマニアックな映画のようだ。安上がりの。
 映画とかラブホテルとか、そういうものは不景気の影響を受けにくいのかもしれない。

2009年3月19日木曜日

ローカル駅

平和だ……。

阿波池田駅にて。

かわいい女の子多いよ!
……ただし、たぶん就学以前の(苦笑

ローカル線

打ち合わせが終わった。
工学部から駅に移動、汽車に乗った。

店広げてたらお兄さんがやってきた。
あわてて席空ける。
のどかだなぁ。

空港



いつも思うのだけど、空港という空間には特有の冷たさがある。それは不安をそそるが、同時に非現実に繋がる何かでもある。思うにそれは演出されたものなのだが、いつか空港といえば宇宙港になって空の空港のイメージが変わる頃には、海の港のように廃れてしまうのだろうかというと、それは僕にはわからない。
きっと、その時代に日記を連ねる誰かが悩むべきことなんだろうな。

2009年3月16日月曜日

残っているものだなぁ。

初代ときメモ関連のページが結構今も生き残っているのに気づく。
当時ホームページ作ってた連中は今よりPC系の技術高いはずなので(ほとんどが手書きHTMLだし。今は生HTMLどころかPC触れない、コードそれなぁに?みたいなゲーマなんざ無数にいる)、そのせいかもしれない。

が、痛いのはいつの時代も変わらないなぁ。
我こそはすごいんだぜ、みたいなひとの記事で、さも得意そうにサターン版固有の裏技を大発見みたいに書いて「みんなやりこんでないなぁ(嘲笑)」みたいな奴とか :D
あっははは ^^ あんた、それ特定機種依存の裏技だって知ってて書いてるのか?
知らないんだろうなぁ。みたところサターン版しか見てないようだし。
特定機種用裏技は確かにおもしろいし、SFC版以前だと222イベントがなかったりしてちょっと寂しい。
でも通なら当然、裏技は「同じことがPCエンジン版から全部できるか試すもの」じゃないのか?
俺?もちろんやったよ?
システムが違うゲームボーイ版以外は全部もってたし全部猿のようにやりましたよ、ええ。
(……どっちが痛いんだか orz)

おい知ってるか君?機種ごとに詩織の告白条件とかずいぶん違うんだぜ?サターン版はものすごく簡単なんだって知ってたかい?
(そのかわり、皆に嫌われるのは大変だが)
PCエンジン版だと、デートの予定管理も自分なんだぜ?ブッキングの自動チェックなんかしてくれないから、(*)三股四つ股してたらパニックになるぜ。サターン版なら自分告白もできるし、高校3年の三学期は爆弾炸裂しないだろ?詩織のパラメータだってゆるゆるじゃん。

な〜にを偉そうにいってんだかなぁ。<おまえもだ ^^;;;;

(*:ブッキング技ってどこまでできたんだっけ。もうゲーム機がないから確認のしようがないなぁ……@@;)

キングジム『ポメラ』使用レポート

まだ初日、というか初触りなので簡単に。
(以下はポメラで書きました)

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キングジムの「ポメラ」である。

 これはよくできた機械である。キーピッチが少々変態的なのがどうにもなのだけど、JRのローカル線で何時間もゆられてもバッテリーの心配なくテキスト入力が続けられるのは大変ありがたい。私はそういう機械を求めていたのだ。

 他のひとはどうか知らないが、私がモバイルでやっていることは大多数がテキストの読み書きなのだ。通信機能などは必須ではないし、最悪なくてもいい。

 勘違いしないでほしいのは、もちろん「ないよりはあったほうがいい」ということだ。普段使っているPCがそのまま外でも使えるのが理想であり、実際そういう方向に向かっていくのが今後の僕のコンピューティングのコンセプトになっている。その意味ではこのポメラは妥協の産物であろう。

 だが、今の世の中にポメラと同一サイズ、重量でメインとしての使用に耐えるPCが存在しうるだろうか。もちろんありえない。技術的には可能だろうけど数十万のお金をPCにはかけられないし、だいたいこのサイズで500G以下の重量、そして二秒で起動してバッテリー持続時間20時間以上なんてのを求められるわけがない。本気で求めるやつがいたらバカだろう。
 しかし、これらは全部今現実に私の目の前で動いている二万円以下のポメラの標準スペックなのである。

 ならば後は簡単だ。単機能機ゆえユーザーを選ぶことは間違いないので、用途があえば買えばいい。ただそれだけの話なのだ。

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上の文を、ささーっとごく簡単に打ち込めた。キーボードに不慣れな点を割り引いてこれならば、十分に実用に耐えるだろう。テキスト屋におすすめである。

以下、個人的に気づいた問題点を。

Transcendの2GB microSDメモリを外部に挿しているのだが、これごとDebian lennyの動いている端末のUSB端子にブッ挿すとKernel Errorが出た。環境依存かどうかは不明だが、少なくともこのマシンに関する限り、ポメラを挿したまま再起動しようとしたりするとエラーになったり無限ループになる事も確認。なおテスト機は非常に古いIBM thinkpad R50eである。
(メモリ単体でUSBに突っ込めば問題ない。しかし想像できるように、これは二度手間である。あとで対策を考えよう)

メモリカードをPCで読める。なにしろ単なるUSBstrageクラスなのだからOSもへちまもなく読める。データだって、pomeraというフォルダに入っているのはただのテキストファイルである。

データ交換の問題さえ片付けば、これは最高というしかない。
さて。

ポメラを買ってしまった……。

キングジムのポメラを買ってしまった。

狙いは、ネットブックの購入の必要性を減らすこと。いや、結局のところPC利用時に何やってるかってぇとテキスト打ってるんですよね。
だけどPCはサッと取り出して使えない。ZERO3(Windows Mobile)ではくそ遅くて使い物にならない。すると自分が1番欲しいものは「サッと取り出してガガーッとテキスト打ち込む機械」なんですよ。必ずしもPCが必須なわけではない。
なんだ、だったらポメラでいいじゃんと。

とりあえず夜にでもレポートを。

アニメを見なくなった理由

最近私はアニメを見ていない。そもそも今の職場にくるだいぶ前から見なくなっていた。
その理由は、たぶんこんなところにある。

・最近のもので琴線ふるわせるものに出会わない。

youtubeなどで定期的にチェックはしているのだ。ウェブで最近の動向を調べる事もある。アンテナは残してある。
けれど「あー、またこのパターンね」とか「つまんねー」ばかりなのだな。わざわざTV録画したり、ましてや放送時間にあわせてみたいなんて思うものが全くないのだ。ひとつもない。
まぁ、癒しになるし楽しいという意味では、『我が家のお稲荷さま。』の天狐空幻(てんこ くうげん)が気になってはいるのだけど、物語自体はよくあるグダグダ系っぽいので原作のライトノベルに走るかどうかはまだわからない状態。まぁ、読んでみて嘆いてもいいのだけど。ライトノベルってのは、ヘドロの砂浜から一粒の砂金(それも十八金)を捜すようなものだから。

ましてやアニメの方は……確かに第一話は面白いと思ったけど、この手の作品は例外なく「第一話が最高」で後はグダグダになってしまう。なぜなら「終わりのない日常の螺旋」を描く以上、その日常でグダグダやって途中適度に新キャラいれてリフレッシュするしかないからだ。あるいはその日常をぶっ壊す巨大な敵でストーリーを変えてしまうか。
前者だと緊張感もなくなってそのうち誰も見なくなる。天地無用なんかがそれだ。後者はパワーインフレを起こしたり、別の作品になってしまう。ドラゴンボールが好例だろう。

アニメ好きならわかるように、世の長編アニメの数割はこの両者のどちらかに属する。ストーリーが、結末がちゃんと用意されているしっかりした痛快な傑作は特にコミック原作では生まれにくい。漫画雑誌がそういう作品を、作家を排除してしまっているからだが、ないのだから仕方ない。お稲荷さまはラノベであって漫画ではないとはいえ……どうかなぁ。
ゆえにこの先は原作読んで判断ってところかな。

・ヒロインがつまらん

例えていうなら、ドラえもんの静香ちゃん(源静香)とかヤマトの森雪を想像してほしい。両者のファンには悪いのだけど、あまりにも非現実的というかステレオタイプすぎる。
女友達がなく主人公たちとつるんでいて、紅一点とか言われてる。紅一点って英語でいうと『女王蜂(クインビー)』というそうなんだが、言い得て妙である。これがエレン・リプリーみたいに自立しまくった強い女(ちなみに彼女は娘がいた。ちゃんとやるべき事はやったうえで強いという、本当に強いひとだ)なら別だけど、そういうわけでもないし。

もっと、強くて自分本位なヒロインがたくさん出てくれればいいのだけど。だけどアニメでやるとアニメオタクはそういう「生身を感じるヒロイン」が大嫌いらしくて人気が出ないんですよね。
そんなわけで、アニメを見なくなった。これはエロゲも同様。

今時初代ときメモ二次創作『紐緒博士の午後』

今時初代ときメモ二次創作『紐緒博士の午後』
まだ途中までですが公開。

なんで今時、しかも初代と言われそうですが、まぁ個人の創作とはそうしたものです。
ときメモは初代以外触ってもないし内容も知りませんし。
信条としては閣下の部下で、ひとめぼれを信じてウツボカズラが好きですし :)

http://mikadics.web.fc2.com/yuina/

2009年3月14日土曜日

composeキーの使い方が変わってる……

いつのころからか、GNOMEのcomposeキーのシーケンスが微妙に変わってるようだ。
普段欧文文字打たないけど使う、という方は注意されたし。

Fräulein の äだけど、compose + " + a と打たないとダメだ。前は a + compose + " でもよかったのだけど、今は受け付けられないみたいなので注意すべし。
まぁ、「ウムラウトa(compose+"+a)」と打てばいいだけなんだけどね。

またおもしろいネタをみつけた

『原因は超低価格品の蔓延にあらず!PC価格が暴落する“本当の理由”』 戸田覚
http://diamond.jp/series/digitrends/10065/?page=1

大抵の評論家は子供っぽい決定論をこの世の真実であるかのように述べるものだ。それは正しいとか間違いとかでなく、評論家とはそういう生き物だからだ。少々極端かもしれないが方向性をはっきり示す。これは彼らが生き残る道でもある。「ナチス死ね」というのと同じく「いや、ナチスのすべてが死すべきというのは誤りだ」というのも意味があるように。
この戸田という評論家もそうである。
この人物は「PCは性能こそ命」というタイプの主張をする。それはそれで間違いではないのだが、実際に「普通の店頭」でどういうPCが売れてるか等をまるっきり考えていないので、そこいらへんを割り引いて「ふーん」と見るべき人物でもある。その主張は概ねPCメーカーなどに日和ったものばかりなので正直「いくら貰ってるの?」と以前は邪推したこともあったのだが、おそらくそうではないだろう。単にPCに過剰な未来絵図を夢見すぎたじいさまの着想なのだ。
 まぁ個人批判はいい。問題はそこではなく、そういう人物がこういうマクロなテーマを選んだ場合にどうなるかということだ。遺憾ながらあまりにもピントが合いすぎている。「もっと重くて多機能なOSを作れ。ユーザーは買うしかないのだから嫌でも買い替え需要が起きるし値下げも必要ない」と彼は言っているのである。彼は常にメーカー(しかも国内メーカー)擁護派でユーザ視点は持たないタイプの批評家なので、この姿勢は彼としては正しい。
 
 だけど、たとえメーカーよりと割り引いても彼の発想は間違いなのである。

 第一に、彼はWindows Vistaを軽いOSと言っているが、この時点で巷の感覚とはズレている。このへんの主観は個人差があるのでコメントは避けるが「XPと大して機能差がないからVistaが売れなかった」というのは「ある程度」正しい。正解は「大して差がないのにクソ重く面倒ばかり多かった」からなのであるが。
 同じ機能なら軽くて問題がないほうがいいに決まっているわけで、実際は結構いいOSであるにも関わらずVista PCはちっとも売れなくなった。とどめに、重いということはバッテリー消費も多いということだ。実際にはハードウェアまわりの対応はXPより優れているはずなのに、自身の重さのせいで結局電力喰いなんじゃ意味がなくなってしまったのはバカというより他にない。

 第二に、彼の目線は一般ユーザーを指していない。
 本当に仕事で使っているユーザーは、PCをホイホイ買い換えない。お仕事PCの環境移行が危険なギャンブルである事を彼らは知っているから、今問題なく動いて使えている環境を早々取り替えようなんて思わないのだ。Officeだって彼らは当然使いまわす。何とか動作する限り、Vistaだろうと7だろうと同じ古いOfficeを継続して使おうとするだろう。Officeが高いからではない、移行して同じように使えるとは限らないと知っているからだ。
 結果として、買い替えサイクルは「PCが壊れた時」となる。

 家庭のコンシューマに至ってはもっとはっきりしている。たかがパソコンの基本ソフトに「すごい体験」なんて求めるのはPCマニアであって一般ユーザではないわけで、しかもそんなユーザは昔に比べてずっと少なくなっている。物心ついた時にはインターネットも高性能PCもあった世代にはそんなまやかしは通用しない。
 家電を3年ごとに数十万かけて買い換えつづける人がいるだろうか?そんなのは一部の裕福層くらいのものだろう。普通は「最新がいいなー」と知りつつも壊れるまで今の機械を使う。(あるいは、極力安いモデルを定期的に乗り換える方針に走るかもしれないが)PCにもその原理が摘要されるから、新型OS〜なんて大々的に宣伝しても、みんな首をかしげて「パソコンはパソコンでしょ?」で終わるのだ。

 結論を言おう。
「Windows7は間違っている」という彼の主張は正しくない。これはMicrosoft社の方が正しい。さすがに現実を見ている。
 ただ、今のままが正しいかというと微妙でもある。これについては「ネットブックほど値下げする必要はない。きっちり付加価値を出せば日本企業も戦える」でいいだろう。実際、ASUSが老舗と知らない一般人は、少し高くても見覚えのある国産メーカーにまだ走っている。この状況を利用し、信頼性の高いモデルで「安心」を売らない手はない。戸田氏のお客様である日本企業のプチ・アナリスト気取りの窓際人たちにも受けがいいだろうし。
 あとは市場の動向かな。
 私の姉は昨年Acerのネットブックを買ったが「わたしのレッツノートよりずっと速い、すごい!」と感激していた。なぜか。付加ソフトが少なく起動が速いだけではない。姉のパナソニックはWindowsXP発売当時のモデルだからだ。姉は保険の仕事をしているが、お客様へのプレゼンテーションをこのすさまじく古いパナソニックでずっと続けていたのだ。
 え?そんな極端な例は参考にならないって?
 ばかいっちゃいけない、家電の買い替えサイクルなんてそんなものでしょう?彼らにはPCも家電だから、これで正しいのです。

2009年3月13日金曜日

リュックを変更した。



リュックを購入した。

今まで使っていた Jack WolfSkin は親友のT君にもらったものだ。たぶん貰ってからですら15年近くは経過していて、いいかげんにボロボロだった。
私の人生のひとつの時代を見てもらったのだ、そろそろいいだろう。T君、ありがとう :D

チェックした時のイメージより少し小さいな ^^; まぁノートPCは入りそうだけど、出張荷物入るかしらん。

もちろん愛用のカラビナも移植。波照間や米原、礼文時代の私も知ってる超長いつきあいの品だ。キャンプしなくなってからは全然役立ってないけどね。

声優ファンが理解できない

昨今はアニメファンというより声優ファンというべき人々がいる、というか近年の日本アニメの中には先に声優ありきというものすらある。
これを良きとするか悪しきとするかはわからないが、ひとつだけ言える事。私にはあの声優ファンというのが理解できないことだ。

たとえば、それは映画ファンと俳優ファンである。
私は映画ファンであるし『エイリアン』のエレン・リプリーこと女優シガニー・ウィーバーのファンでもある。しかし彼女のファンになったのは彼女がエレン・リプリーであったためであり、彼女が出ている他の作品には特に関心がない。ゴースト・バスターズ2くらいしかまともに見てないってのもあるけど。

私のような人間がファンと自称していたら、きっと「自称映画ファン」のシガニー・ウィーバーのファンは「けっ」と鼻を鳴らすだろう。だけどそうなのだ。私は「まず映画ありき」であって「まず俳優ありき」ではない。役者はその配役の中でのみ評価するというのが私のスタイルだからだ。つまり私にとり、エレン・リプリーをやっているシガニーとゴースト・バスターズ2にいるシガニーは別の人間として認識されているわけだ。配役なんて大人の事情なぞ知ったことではない、娯楽映画というのはその作品がすべてなのだから。

米大統領がミサイル発射警告 北朝鮮の打ち上げ通告で警戒強化

http://www.47news.jp/CN/200903/CN2009031301000070.html


 大統領は1月末の胡錦濤国家主席との電話会談で、6カ国協議を通じた北朝鮮の非核化の重要性を確認したが、ミサイル発射に言及したのは初めて。北朝鮮は国際機関に人工衛星打ち上げを通告したが、米国は人工衛星打ち上げも実態はミサイル発射と変わらないとして警戒を強めているとみられる。


なんでこの記事が意味をもつのかと言われそうだけど、ひとつ書こう。

ロシアや米国が人工衛星を打ち上げる時、一般的で安価な方法が実は中古ミサイルの転用なんである。つまり大陸間弾道弾(I C B M)のプログラム変更をして衛星打ち上げをしているのだ。なに、大気圏に再突入して敵地を精密に攻撃する大陸間弾道弾の性能があれば、すんぶん違わず衛星を軌道に乗せるくらい朝飯前というわけである。それどころか発射設備もミサイル設備を使えばいいわけで、違うのはミサイルの設定だけといっても過言ではない。

そういう意味を含めて、上の米国の発言をよく読んでほしい。彼らが警戒するのが異常でもなんでもない事がわかりますね。

すごい勘違い

実は今の今まで、フェリス女学院のフェリスを「Felis」だと思ってたんですよね。
というのも、

Felis とは、ラテン語で猫を意味する。
いわゆる山猫が Felis silvertris で、人間が飼うようになった飼い猫が Felis silvestris catus。このため、たとえばネット上では猫や猫族のことをCatと書かずFelisと書いていることがあるのです。Catだとヒョウのような大型の猫科動物も含まれてしまうので。
かわいらしく、しかし凛とした若い女の子のイメージなのかなと。

だったのですが、さっき由来を見て「うわぁ、すげえ勘違い」と納得。

http://www.ferris.jp/gakuin/enkaku.html

「フェリス」とは一度も来日したことがなかったが、学院に対して物心両面にわたり援助を惜しまなかったアメリカ改革派教会の外国伝道局主事父子の姓です。

学院の校名は、創立時には「キダーさんの学校」「ミロルさんの学校」などと呼ばれていましたが、メアリー・E.キダーは、山手178番に校舎が新築された時、援助を惜しまなかった父子に敬意を表して「フェリス・セミナリーと呼びたい」と望み、その後「フェリス・セミナリー」、「フェリス和英女学校」と呼ばれるようになりました。

英語が敵性語とされた戦時下の1941年には、地名を冠して「横浜山手女学院」と変更されましたが、1950年、同窓生を中心に校名復帰の声がたかまり、再び「フェリス女学院」と改称されました。


うわぁ、すっごくごめんなさい orz

なるほど、Ferris Seminaryなのね。確かに、ばりばりのキリスト教系学院にはこの名前がふさわしいか。

2009年3月12日木曜日

大変ですな、イメージ戦略というものも。

ユーグレナ社長日記 イズモノブログ

 このブログの中でユーグレナユーグレナと欧州かぶれに呼ばれているのは、なんの事はない理科の教科書でおなじみの微生物『ミドリムシ』である。ユーグレナというのは欧州における呼び方で、クリオネの和名が『ハダカカメガイ』なのと同じ、単なるイメージ戦略である。ミドリムシという名前ではあまり美味しそうじゃない、というかゲテモノ臭ぷんぷんなので社長さんとしてはその呼称を忘れて欲しいに違いない。そりゃそうだ、頭スッカスカのスイーツさんたちに「ユーグレナって身体にいいんだって~:D」と食べてもらい、クリオネみたいに本来の名前が忘れ去られるほど広まってくれれば勝ちなんだろう。私も彼の立場ならそういう戦略をとるだろうし。

 実際、ミドリムシは自力で光合成できるうえに創ったエネルギーを炭素ベースで体内に貯蓄する。このエネルギー貯蔵力はそこらへんの栽培植物では足下にも及ばないわけで、確かに食糧問題解決のカギになりうる。微生物である乳酸菌が一晩で何トンという乳酸を作り上げるように、微生物とは凄いのである。

でも、やっぱり『ミドリムシ』なんだよね……。
いや、ようするに彼(彼女)の最大の問題点はこの和名なわけで、でもミドリムシが美しい眼点eu + glenaなんて名前に変えられてしまうのは納得できないものがありますが。

2009年3月11日水曜日

ねえ、どうしてテロリストをもてはやすの?

金元死刑囚面会 韓国国民冷ややか テロリストの認識強く(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

これは韓国筋のコメントの方が正しい。
こいつ大韓航空機事件の時のテロリストやん。なんでこんな奴を大々的に報道するのかね。

家族が助かるためなら悪魔とだって契約する、というその気持ちはわかる。
だがそれは当事者だけの話だ。
たぶん日本の報道がおかしいのだ。
親子の情は確かに重い。だが、テロリストとの面会を大々的に報じてどうするのか。

ちなみに上記記事によると、爆破事件の遺族は未だにこいつとの面会が許可されないらしい。
どっちが先なのか火をみるより明らかだと思うが?

ぶw

昼休みにチェックしてしまった。こんなキーワードを見るのは、しばらくぶりだ。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Keyaki/1511/tokimeki/tatebayashi.html

(引用) 3年目の冬まで何もしないで、冬になると、卒業まで詩織とデートして友好度をあげる。(ただし1回以上ぶつかっていることが条件。)ようするに、登場している女の子の中で藤崎と一番仲が良くて藤崎に告白されない状態(パラメータ不足や、有効度・ときめき度不足)、かつ廊下で1回以上ぶつかって、伊集院の告白条件を満たしていなければ、高い確率で告白されます。パラメータは高いに超した事はありません。この方法はPS版なら大抵大丈夫です。(SS版は成功率が少し低い。)

あーなるほど。つまり私は、みはりん作った人の思惑にそのまんまハマってるのですね。
もともと彼女を設定した人の話では

「メインヒロインである藤崎詩織攻略は初心者には難しい。しかし初めてプレイすると、主人公の詩織への想いをしつこいくらい見せられるわけで、プレイヤーは何も知らないまま詩織狙いに走り、そしてこのゲームの甘ったるい言葉と裏腹の地獄に悪戦苦闘することになる。
 だから、そんな涙するプレイヤーをじっと見ている女の子を創った」

というものだったと記憶している。

ときメモは多くのギャルゲー、エロゲーと同じく主人公は人気者になる。ただし複数女子の人気を集めてしまうがゆえに、へたな応対をすると当然悪い噂が流れだす。そしてフォローを忘れるとそれは爆弾のように炸裂し、一部をのぞくすべての女子に、たかがゲームと笑えないほどの凄まじい嫌われ方をしてしまう。

 あの、すべての女子に嫌われた状況というのは本当に経験してみないとわからないだろう。メンタルの弱い方ならとてもゲームと笑えないほどである。
実際、ときメモでは女の子のご機嫌取りを爆弾処理と称するのだ。
なかなかのブラックユーモアではないか。

だけど、さすがにゲームでそればかりはきつい。
だから詩織狙いで失敗し、他の女の子の告白もありえないような最悪の条件での救済措置として彼女が現れる。最初から攻略データを見てやっているのなら別だろうが、たいていのプレイヤーは詩織攻略失敗、他の子も駄目でバッドエンド確定という絶望的状況で足取り重くエンディングに向かい、そして見知らぬ誰かの手紙に驚き、涙する。

このため、彼女はその出番の圧倒的な少なさと裏腹に人気が非常に高いのである。

Windows95用ゲームCDROMの復活

大昔のパソコンゲームのCDROM。
ただでさえ放置でボロボロだったのに引っ越しの際にクラックまでいれてしまった。これではさすがに磨いてもどうにもなるまい。
私は古いゲームもお気に入りは時々やる。だから、月姫、アトラク=ナクア、デアボリカ、デモンベイン等、はまったゲームは今も手元にある。時にはインストールしてリプレイすることもある。何年も経過していると細部など忘れているもので、その意味でも楽しい。

んで、たっぷり12年は放置していた「ときめきメモリアル for Windows95」が今回の救助のお題であった。

CDROMは壊れている。これはもう磨いたくらいではどうにもならない。生きてるデータだけをサルベージして焼いてみるしかない。
今時のソフトならプロテクトでひっかかるが、この当時なら一部の特殊なもの以外何とかなる。それに正直、コナミにも残されているとは思えないので、再購入となるとコレクションの放出などを高く買うしかないのだから、いち消費者としては吸い上げを試みてみるのはひとつの手段であろう。

そんなわけで、表ページに結末を置いてある。
一部データにさすがに欠損があるようだ(もともとのバグかもしれない)が、今回はとりあえずうまくいったらしい。
よかった。

2009年3月8日日曜日

[ノートPCの環境整備] LaTeX関係

うちのホームページ関係は、技術的に大きく分けると二つになる。

ひとつは表ページやセリオ専科など。これらは Emacs + EmacsMuseというパブリッシング環境で構築している。
もうひとつはノベル系ページ構造。これらは生テキストのファイルを自作スクリプトでXHTML1.1に変換し、ネット上のディレクトリとsyncさせる。

前者はEmacsツール群が必要だがシンプルで自由度が高く非常に扱いやすい。ただし2009/3現在、ふりがな関係の問題が解決していないため、HTML以外のコンテンツを自動生成するのは少し制限がある。

後者はゼロから自分で構築したのでどうにでもなるし、好きなエディタで作成できるしやりたい放題だ。make一発でpdfやOOo文書を生成する事すらできる、しかもふりがなつきで。長年のテキストサイト運営の果てにたどり着いた究極の一であり、単にXHTML変換するだけならruby+uconvが動くだけでも何とかなるように実装してある。必要な機能以外を一切そぎ落とした構成ゆえに可能なシステムだ。
ただし便利にしようとすると、makeやlftp、LaTex+kunten2e.sty等、UNIX由来の環境をふんだんに使う構造になっている。特にPDF生成に必要なLaTeX環境では、日本語縦書きの処理に奥村研クラスファイル群、それからルビ処理のためにkunten2e.sty(2.0)が必要だ。奥村研の方はDebianパッケージにもなっているがkunten2e.styはそうはいかないので、もらってきて手でコピーし、mktexlsrを使うというアナクロな方法もとらなくてはならない。
が、全部揃えるとmake一発で縦書きPDFまで作ったうえにインデックスページも自動生成するという非常に気楽な管理ができる仕組みになっている。
私が複数のホームページを日常的に管理できていたのはそういうわけだ。いちいちHTMLなんて触らないし、make一発で加工・自動生成・アップロードまで全自動でやる仕組みが確立していたからこそ可能だったのだと言える。

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で、話を戻す。
一次創作関連をメインPCから更新するため、Debian lennyに先日入れ替えたメインPCにLaTeX環境を再導入した。
問題は特になかったが、fontmapxが読めないどうのとエラーが出た。これの対処は難しくない。単に日本語laTeX環境を残らず入れたら、mktexlsrをマニュアルで走らせればOKだと思う。
あと、kochi-(gothic|mincho)、gsもセットでいれておこう。

2009年3月6日金曜日

デスクトップ崩壊へ ──何を今さら

 ここ数ヶ月、あちこちのニュースサイトなどの記事をみると、デスクトップのシェア減少やノートへの主力移行が今さらのように伝えられていた。
 私に言わせてもらえば「いったいどれだけ時代遅れなの」としかいいようがないのだが、まぁ仕方あるまい。大手ニュースサイトで精力的な新人が「デスクトップなんて職業上そういうのが必要な人とオタクのためのものでしょう?」なんて言おうもんなら、その意味が理解できない旧式のおっさんユーザーたちが「何いってんの?ノートなんて高くて遅くて使えないもん、ほいほい買うわけないじゃん」と一笑に付して終わっていたのだろうから。こちらにしてみればそんなもの「あんた電器屋のPCコーナー見たことあるのか?」と言いたいわけなのだが。

 結論からいうと、もうデスクトップなんてものは市場自体がニッチ向けになっているのだ。電器屋にあるのはノート、あるいはノートベースのデスクトップ風一体化マシンの類だ。五月蠅い、ごちごちゃしてる、ダサイと三拍子そろった「高性能デスクトップ」とやらはちぃとも売れないのだ。売れないものは置かない、というわけでとっくの昔に普通のお店では並べなくなってしまっているのだ。

「そんなわけねえじゃん。メーカーサイト見ろよ」

 そう。確かにメーカーサイトにはデスクトップも並んでいる。通販でも買えるだろう。
 だけどね、普通のユーザは保証コミでお店で買うんです。見たこともないパソコンを、しかも通販購入なんて大冒険するのは元々普通の人じゃないんですよ。だからお店にないって事はつまり、選択肢にのぼらないって事なのです。
 ではなぜ、デスクトップがなくなったのか。ノートばかりなのか。
 私はこのあたりを、こう分析しています。

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 同じ性能、同じ内容ならば、据え付けで動かせないよりも家中移動できるほうがいいに決まっている。少なくともこれは間違いない。
 ラジオもテレビも同じような末路をたどった。テレビは大画面志向が存在するおかげで辛うじて大型市場が残ってはいるけれど、これはおそらく進化の本道ではない。それがメディア端末の性格をもつ限り、公用から家庭、家庭から個人とスモールダウンしていく流れは止めようがないからだ。

 PCは本来これらメディア端末ではないが、一般人がPCに求めるのは双方向性の、やはりメディア端末だといえる。メールにしろ年賀状にしろそういうことであり、一部のニッチを除けば高性能デスクトップなぞ元々必要ないのだ。
 ではどうしてデスクトップが売れてたのか。簡単だ、ノートが単に馬鹿高かったからだ。
 しかし時代は変わる。デスクトップがCRTから液晶に移行した時、この結末はすでに決まっていた。
 充分に使えるポータブルは据え付けの高性能機を軒並み食いつぶす。これは電機史の史実であり私の思いつきなどではない。価格・機能・ニーズの三面で十分折り合えるようになったポータブルは歴史の力学にしたがい、据え付け機の市場を奪っていく。ただそれだけの話なのだ。

 むかしのPC評論家でエコを語る者はほとんどいなかった。いや、それどころかつい最近までほとんどいなかった。なぜだろう?
 簡単だ。これらのPC評論家はオーディオマニアと同じ人種が大多数で、性能とコストパフォーマンス以外にまったく無関心だったからだ。
 普通の家電なら当然あるはずの騒音問題なども気にしない。彼らは「PCは速さが命」と断言して憚らず、エコにこだわったり静音に向かうのは「アパート住まいなどの特殊事情」とか「事務用途などのニッチな方向」と決め付け、その考えを覆さなかった。
 しかし現実は違った。彼らの目は結局、高度経済成長時代の「隣の車が大きく見えます〜」な感覚から一歩も進歩してなかったんだろう。
 だってねえ。
 いくら性能よくたって、数百ワットの電源ついててガンガン電気食うマシンなんだよねえ。しかも、ゴーゴーものすごい音たててさ。
 そんなの、いくら性能よくたってみんな欲しがるわけないじゃん。
 アタマ悪すぎだっての。

 日本は確かにノートの普及が早かった。それは住宅事情によるものなのだけど、だからといって「海外の広い家でノートなんかいらないだろ、こんなのうさぎ小屋のニーズだ」なんて、したり顔で言ってた評論家たちはあまりにも海外オンチと言うしかあるまい。実際には「電源事情」という日本よりはるかにシリアスな理由でノートPCが好まれていたのだから。そりゃそうだ。UPSとセットでデスクトップを買うくらいなら、ノートという選択肢だって当然あるだろ。
 そしてなにより「コンセントさえあればどこでもhackできる」ことでGeekたちもノートを好んだ。そういうことだ。

2009年3月5日木曜日

啓蟄

今日は、啓蟄(けいちつ)。

四季折々を野に山に飛び回って暮らした幼児時代の私にとっては知的好奇心を満たす季節のひとつ。そう、カエルの卵を見に行くのだ。

家にあった動物図鑑で漢字や感性を磨いた三つくらいの頃の私にとり、卵塊の形から「あれはアマガエル、これはアカガエル」などと見分けるのは簡単なことだった。そしてその好奇心を満たす最大のイベントがオタマジャクシからの変態の観察、そして卵塊からの孵化だった。
果たして、うちの近所にはいつもアマガエルの卵塊のある場所があった。二度はそこから卵塊を回収、家でカエルまで育てたこともある。もっともカエルになったら皆逃げ出して庭に住み着いた。すべてが生き延びたわけでもないが分母数が多いので生き延びる奴も多く、雨がくると大合唱して母を閉口させたらしい。

今思えばカエルという生物のアプローチは実に不思議だ。れっきとした脊椎動物、しかも水棲でない生き物でここまでの決定的な変態をする生き物はあまり多くない。それは一つの「陸地」へのアプローチのひとつであったのだけど、淘汰の結果カエル案は普及しなかった。むしろ生物は水から離れ、乾燥に強い爬虫類のアプローチを選んだからだった。
裏を返すと、地球がもっとジメジメした湿地ばかりの惑星ならば両生類が強かったかもしれないし、カエルの得意とする生息域がもっと…ということもありうる。進化とは必然で起きるがその経緯には試行錯誤も行われる。バージェスの奇怪な動物群を引くまでもなく、そういう事なのだろう。

2009年3月4日水曜日

梅の花 それとも見えず 久方の 天霧る雪の なべて降れれば

……by 柿本人麻呂 / 古今和歌集

梅の花は白いわけで、天を霧のように平坦に降り注ぐ雪の中では、それとわからぬという歌。しかし、天霧る(あまぎる)とは風流ですねえ。

ま、そこまで降ってないしこの辺じゃ梅の花もないけど ^^;

2009年3月3日火曜日

あなたの知らない世界

中央線の駅が美形男子に “鉄分”入り乙女向けWeb漫画「ミラクル☆トレイン」 - ITmedia News

これ本当に人類かと叫びたくなるような「ありえないイケメンたち」が、ちんちくりんだったりソコソコだったりする主人公(女)をみんなして取り合う。あるいは作中に出てくるそれらイケメンたちはすべてホモで、特定の少年を巡って恋のさやあてをしている──。
これらは別におかしなものではない。ごくごく普通に、そこらに無数にありふれている「乙女漫画」の姿でありステレオタイプである。
そう、よく叩かれる男性むけの美少女もののそっくりそのまま男女反対なのだが、実はこちらの方がはるかに長い歴史を持っている。私も子供の頃、姉が持っていた「摩利と慎吾」などを読んだものだ。だから大人になってからヲタむけ乙女むけを見た時も「こういうのはいつの時代もあるんだなぁ」と思っただけだった。

ヲタ男の描く美少女・美女が異様なのと同様、腐女子の描く美少年、美男もやはり異様である。いやむしろ腐の方がある意味強烈だ。
これはあくまで推測なのだけど、その裏には母性本能があるのかもしれない。
半ズボンの男の子キャラが女性に人気高いのはショタ好きってだけでは語れまい。「かわいいものが好き」というのは男にも女にもあるし、また異性の子供に対する想いや甘さも男女共通ではあるものの、おそらくはそれだけではない。

2009年3月2日月曜日

他面からみるブランドイメージ

商品やメーカーにはブランドイメージというものがあり、それは受け取り手ひとりひとり、あるいは立場で違ってくる。

たとえばヤマハ。オートバイ好きとしての私がヤマハというと「見た目優先」だろう。きちんとデザインされたオートバイも多々あるが、どう見ても誰かの暴走の果てとしか思えないものもある。いろんな意味で「平衡がとれてない」のがヤマハ発動機のイメージだ。
しかし、おなじヤマハでも楽器メーカーとして見ると評価はがらりと変わる。楽器産業としてのヤマハはオートバイメーカーにおけるホンダのようなものだからだ。良くも悪くも優等生で、時おり野心的なものも放つというところか。個性が弱いので揶揄される事もままあるが、くせがないのが癖とでもいうか。とてもニュートラルで演奏しやすいギターも多いが、反面とんでもないフェイクな楽器はヤマハからは現れない。
同じメーカーなのに別サイドから見るだけでこれほどもイメージが違う。これこそ、多数の立場からものを見るおもしろさである。

そんなわたしがPCブランドをイメージすると、こんな感じになろうか。

IBM: 堅牢。重厚長大。老舗。
HP: RPN電卓屋さんのPC。昔のダサかっこいいの好きだったなぁ。
DELL: そこそこ安い、そこそこ速い、そこそこ便利。お金かけてもサポートつけるべし。
ASUStek: 完成品はわからないが、マザーボードには絶対の信頼を持っている。
NEC: PC-9801。遅い古い高いダサイの四重苦。おとっつぁんのPC。おつきあいで買う田舎のPC。
Mac: ちょっとズレてる感があるがクール。お金をデザインで隠す二枚舌に納得できるなら面白そう。
富士通: いまいちだが、いないと寂しい。
中華系: 怪しいが面白そうだ

Acerと韓国系は情報がなさすぎてイメージが湧かない。

2009年3月1日日曜日

UbuntuをDebianに戻した。


 ほとんどメイン機となっているにも関わらず、Ubuntu 8.10が入っていた古いIBM Thinkpad。ようやく落ち着いてきたので、stableになったばかりのDebian lennyをインストールした。


 デスクトップはずっと前からLennyなので代り映えはしない。だけど道具の外観なんてそんなものだね :D