2009年7月11日土曜日

隧道の話

ちと暗い話になる。
個人的に廃道や廃隧道には興味があるのだけど、これは昔の旅趣味からの派生ではない。大昔にあった父の死に関係があるのである。

私の父は国道の旧道、それもよりによって山奥の隧道の入り口で亡くなった。で、姉はその場所を地元のひとの噂話で突き止めた。ひどい山奥というのもあるが、その頃には父母は離婚して何年も経過しており、父の里に問い合わせる事もできず独自調査するしかなかったからだ。
で、その現場というのが高知県はR196号旧道にある、昭和50年代にその役目を終えた旧大森隧道・高地県側坑口のあたりなんだそうである。

ところが、まぁよくある話なんだけどこの旧隧道というのが曲者なのだ。
大森隧道のあるこの大森山には、わかっているだけで四本のトンネルが掘られている。しかもそのうちの三つは少なくとも平成19年あたりまでは貫通していた。並べると以下のようになる。車道三つに軌道一だ。
なお、これらの歴史的情報にはネット上の廃道サイト、および郷土史関係の複数サイトの記事を参考にしている。おそらく事実に近いと思うが、自ら裏付けはとっていない。

・初代大森隧道
 推定・昭和10年竣工。昭和40年代までは現役で、私たち家族も当時おそらく通過した事があると思われる。現在愛媛県側のアプローチは途中で崩落しているそうで、隧道自体も埋没寸前。ただし隧道自体の崩落でなく大量の水による土砂の侵入らしい。

・二代目大森隧道
 昭和35年の竣工直後に大崩落を起こしている。のちに修理されたが、昭和53年に新大森トンネルができて、後にわずか20年で閉鎖となった。車両通行止めだが現在も貫通はしているようだ。
 ……実は現地の幽霊スポットとしても有名。私の父ばかりでなく、この隧道とそのまわりではたくさんの人が亡くなっているそうだ。これは私の姉が地元の知人と雑談していて聞いた話で、今でも肝試しをしたりするような場所らしい。

・三代目・新大森トンネル
 昭和53年竣工。もちろん現行で、もう少し先の寒風山トンネルと並び、高知県と愛媛県を結ぶ大動脈のひとつとなっている。

・(名称不明)長沢森林軌道・大森隧道
 既に崩落しているが、片側の坑口はまだ残っている。といっても大昔の林野鉄道のものであり、ほとんど洞窟のような素朴なもの。

幸い、姉が父の現場を調べた時は現場に詳しい人がいてすぐわかったらしい。だからたぶん間違いないと思われる。その頃ならば、すでに初代隧道への道は旧旧道で閉鎖のはずで、旧道というと二代目の方だからだ。
まぁ、違ったとしてもそれほど遠くではないようだけど ^^ そこに慰霊碑や墓があるわけでもないし。

ちなみに、私は廃道趣味はない。廃道サイトを見るのは好きだが自ら近づく事ができないからだ。
閉塞隧道や行き止ま林道、途切れた国道といった「通り抜けていない道」は基本的に子供の頃から苦手だ。「ココハチカヨルナ」と誰かが耳に囁くと言い換えてもいいくらいダメだ。
日本一周経験者だからこういうのには強いだろうと言われるけど、それはむしろ逆だと思う。かつて林道野宿ライダーで名を馳せた寺崎勉氏が実は虫が苦手という話がどこかにあったけど、あれはもし事実無根だったとしても「さもありなん」と納得できる話ではある。

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余談。

寒風山トンネルの脇にある旧寒風山隧道もそうなのだけど、このあたりの古い隧道は水の侵入が激しい。どうもこのあたりは水気(すいき)の地なのかもしれない。
元々はどちらも歴史的に恐ろしいまでの険路だったようで、まともな道路もなく孤立しがちな地域も今もってしても多く、最近であっても下手に山の中で死人が出ると、病院はおろか警察も間に合わず、地元の人々で回収して荼毘にふす事すらあるという。
まぁ、高知県には平成直前まで電気すら来てなかった地区もあるくらいで、別に驚くにはあたらないのだけど……。

4 件のコメント:

abigail さんのコメント...

子供の頃、洞窟の類が好きだった。

例に漏れず、秘密基地をとある洞窟の中に作った。
で、そこが崩落したら命取りになる危険な穴だった事を知ったのはずいぶん後になる(笑)。
粘土質の土の中を掘っただけのもので、補強もしてないような奴だったらしい。
立ち入り禁止の看板なんて、子供には通用しないって奴ですね。
地元の子供が何グループも入ってて、お互いに秘密基地を作ったり潰したりしあってたっぽい。

私は、特に廃墟や廃隧道趣味はないけれども、逆に近づく事に忌避感もない。

ごくまれな例外を除いて、第六感が働く事がないせいかも知れない。

夜の山中を走るのは、確かに怖いが。
山中のトンネル内を走っていると、夜昼を問わず少し背筋が冷えるような事はあるが、「あっち」になら、既に知り合いが何人か行ってるので、ご案内ならその連中にお願いしたい。
縁もゆかりもない土地の、亡者だか付喪神だかに引っ張られるのはごめん蒙る。

hachi dash さんのコメント...

ふむふむ。

私も別に霊感が働くとかではないと思うのです。旅してた頃には派手な幽霊体験もしているけど、裏をとったりしてるわけでもないし、その気もない。
臨死体験みたいなのもあるけど、その時私の隣にいたのは、生涯無二の親友と思っていた今は戻らぬ男だ。たぶん私は死自体は別に恐れてなくて、死に至る苦痛が恐ろしいだけなのだと思う。

だけど、それでも「貫通していない道」は根本的に苦手です。
そこで引っ返さなくてはならないという意味じゃなくて、何かがそこに淀んでいるようで不安に駆られるのですね。

>>縁もゆかりもない土地の、亡者だか付喪神だかに引っ張られるのはごめん蒙る。

まったくです先生 T_T
そいつぁごめんだ。

abigail さんのコメント...

>何かがそこに淀んでいるようで不安に駆られるのですね。

諸星大二郎みたいですな。
諸星はそういう時良く「穴」や「地下室」「下水道」などをモチーフにする。究極に位置するのが、地下鍾乳洞に繋がる異形の海で、その彼方から、無意識の境界に属するような、不気味なもの、禍々しいものが流れてくるのですが。
エロス的な捉え方をするのであれば、地下の海は子宮。
タナトス的な捉え方をすれば、黄泉。

完結していない道というのは、不完全な要素を意味するのであれば。
道の終わりは、どちらかと言えば冥界の辺土かな。
そこから先へ行く事は出来ないという意味であれば。

hachi dash さんのコメント...

諸星大二郎……。
はじめて西遊妖猿伝を読んだ時の衝撃は忘れられない。凄い作家とはこういう人を言うのだなと。

そうそう。
行き止まりというと、そこから先に埋けないもの、あるいは逝けなくなったものが留まってるように思えるのですよ。
さながら、祓戸大神のところに逝くに逝けないこの世の淀みというか、そういうものが取り残されているような気がするのですよ。

ああ、確かに辺土という言葉に近いかもしれない。
沖縄本島の辺土岬もそれに近いですが、北海道のシレトコ、シャコタン、スコトン(全部同じアイヌ語のなまりで、地の果てという意味)みたいなものかもしれない。