2009年8月19日水曜日

痛いニュース(ノ∀`):「私が人脈持ってる人間だとわからないの!?」…吉本ばなな氏のエッセイを紹介したサイトが話題に

痛いニュース(ノ∀`):「私が人脈持ってる人間だとわからないの!?」…吉本ばなな氏のエッセイを紹介したサイトが話題に

うわぁ……これは^^;;;;

吉本ばななというと、以前読もうとしたんだけど1ページで挫折した思い出がある。文章はうまいのだけど、なんというかね……素晴らしくきちんとした技巧で書かれているけど訴えてくるものがないというか。おそらくファンの人には何か感じられるのかもしれないけど、私の琴線には触れるどころか風も吹かなかったので。

ファンの人には悪いんだけど、どこが魅力的なのか理解できなかったのだ。
長年やってるだけあって、文章こねくる技術はそれなりにある。しかし正直、そこまでなのですね。まったく正反対として、語彙も知識も文章力も笑っちゃうほど乏しいけど面白くて読み漁った独身時代の新井素子がある。彼女は実力という点ではへたくそなんだけど、SF好きで書いているのがビンビン伝わってきた。まぁ、それこそが彼女の技術だったのかもしれないが、とにかく「むちゃくちゃなんだが面白ぇ」と思った。
ただ綺麗なだけの文なら勉強すりゃ誰でも書ける。だけど、魂の入った、ぐいぐい読み手を引っ張る文というのはそれでは書けん。
きっとそういう事なんだと思う。

これ見て引用元の彼女の文も見たんだけど…………本当にファンの人には申し訳ないのだけど、おそらく一生読まないだろうなと思った。もちろん、当人の人格がアレでも作品が面白ければ問題ないのだけど、あの文を見る限り期待薄そうだから。

やれやれな記事でした。

2 件のコメント:

abigail さんのコメント...

新井素子作品は、文体こそムチャだが、プロットは予想を斜め上に越えて来る。

キャラクターは典型的な少女漫画なんだけど、問題提起がSFでしかあり得ないもの。

世界の破滅、進化の始まり、異邦人、不死者、異能者などが、「日常の代表者と非日常の存在」が対比された形で、ごろりと彼女の世界には無造作に転がっている。
文体が一人称なのも、世界の主人公(新井素子その人)が、SF的なワンダーランド化した世界を冒険する少女漫画なのだから、だと思う。

文章技術で面白い作品が書けるとは限らない理由は、島本和彦が「吼えろペン」の中で言う、
「魂のこもった線はいびつになる・・いや、いびつでなくてはいかんのだ!!」
という台詞が当たっているような気がする。

要するに、言いたい内容が読者の共感を得られるものでなければ、どんなに綺麗な言い方でそれを言おうが意味はない。
小説であれエッセイであれ、作者は自己主張する。
自己主張とは歪みなわけで(笑)、魂のこもった線はいびつなのである。

それは、長谷川イズムが
「弱い者は守らなくちゃいけない!」
「誰がそう決めた?」
「俺だ!」
に完璧に表現されている事でも明白である。

これが個人の勝手でなくて何だというのだ(笑)。
論理としては歪んでいる。全く論理などないほどに。
しかし、吉本ばななの勝手は醜悪で、鋼鉄の狩人の勝手は美しい。

新井素子の文章はムチャクチャでも、その文章を以って主張したい事には一点の曇りもない。

まあ、読む人間の美意識がどっちを向いてるかにも関係あると思うが・・・。

そう言う事なんだろうと思う。

hachi dash さんのコメント...

あああ、先生すみません。寝てたか風呂か?着信に気づいてなかった。

そうそう、それっす。

新井素子作品は何よりプロットがしっかりしている。『星に行く船』をはじめて読んだ時は凄いと思った。あれだけ典型的に少女マンガのノリそのものなのに、完璧にSFなんだもの!
その昔『ひでおと素子の愛の交換日記』シリーズで、三つくらいの頃のお母様の育児記録を読んだ事を書いていたと思うのだけど、三才にして既に原稿用紙に文を書き(業界人の子ですからね)、好きな事以外は頑としてやろうとしないと書かれていて今の自分と全然変わらないと苦笑いしていたんですが、まさに彼女の作品はそんな感じなのですな。
つまり「泳ぐように原稿用紙に自然に書き連ねるバックエンドをもつ、普通にSF好きな女の子の一人称小説」なんだ。

>小説であれエッセイであれ、作者は自己主張する。
>自己主張とは歪みなわけで(笑)、魂のこもった線はいびつなのである。

そうそう。歪んでいる。
ちなみに文章でなく音楽もそうだと思いますよ。究極に完璧な音というと科学的には正弦波ですがね、正弦波を人間が聞いても純粋に音すぎて音楽たりえない。わざと調和をぶっ壊さないと音楽は音楽として成立しない。
三味線やシタールは、一部またはすべての弦をわざとネックやボディに接触させてビビリ音を出させる。そのノイズを音楽の一部として使うからだ。あのシタールの「インドっぽいギョイーン音」は、ブリッジサドルをわざとカマボコ型にして弦を振動中にビビらせ、それを増幅しているのです。
あれらは「いい音」を選んだ結果そうなった。歪ませるのはエレキギターの代名詞ではないのだ。

しかし、そうですね。
どちらも歪みには違いない。ただそれが良く感じられるかどうか、というのは確かに賛成です。
新井素子というと、わくわく動物ランドの関係者の人と結婚したと思うのですが、超のつくぬいぐるみマニアの彼女は、あの番組で作られているぬいぐるみのサンプルを旦那さんがもらってきてくれる事を幸せそうに書いてたっけ。
なんせ、ミトコンドリアのぬいぐるみとか信じられないようなものを持っていると当時も有名だったはずなので、さもありなんというところですか。

それらと、チェーンの居酒屋で蛮行に及び逆ギレしたあげくブログで「あたしを誰だと思ってんのよ」と書き散らす吉本ばななの姿。

うむ……確かに「良いと思えるかどうか」であって「変」さ自体は大差ないか ^^;