2010年1月11日月曜日

「旅情」はひとによって全然違う

何でも客観的に理解するというのもよい事だが、むしろ主観的に行くことで新しい地平か見える事もある。
今回はそんなお話である。

親しき知人よりPCを貰い新サーバに仕立てた。
空きエリアの一部に彼のおすすめコンテンツが少しおさめられていた、いや対外的には残されていたというべきか。その中を「おや」と見ていると、「旅情」のキーワードで集められていたコンテンツがあったのだ。
それを見ていて「なるほど。彼はこういうのに旅情を感じるのだなぁ」と思ったのだった。

異論を唱える人もいるかもしれないが、旅情というのは人によってずいぶんと違うものだ。

おそらくではあるが、旅「情」という言葉自体が示しているように旅情というのは主観的キーワードなのである。昔ラジオ番組で「旅情を感じる歌特集」でユーミンの中央フリーウェーとか流れてて「は?ユーミンで旅情?頭膿んでねえか?」と思った事がある。ユーミンは別に嫌いじゃないし音楽としてのレベルを否定するものではないが、しかし旅情なんて彼女の歌にあったかというと私自身は全く感じない。その土地や時代などでのエピソードや、それへの想いを語っているものはあるが、それらから旅情を感じる事はまずない。せいぜい、そういう宣伝で多く使われたのか駅とかSAのイメージくらいしかない。

だが、それもおそらくは私個人の主観なのだ。
ユーミンが旅情を感じるかと言われれば今でも「かけらも感じんわい」と即答するし、それでもユーミンを選ぶものがいるとすれば、それは何か大人の事情なのか単に番組企画側の感性が話にならんほどお寒いだけだろうと思うのだけど、だからといって「じゃあおまえは何を選ぶんだ?」と言われるとその土地の音楽を当然選ぶ事になる。すると、沖縄のように道を歩けばその土地の音楽が聞こえるような土地以外では、おそらく賛否両論も多く出る事になろう。天城越えや津軽海峡冬景色を選ぶと、暗すぎるとか現代的じゃないだろとか現実に即さない声も出るだろう。だから私がプロデュースしても番組としてはうまく成立すまい。

しかし忘れないで欲しい。
旅情とか郷愁などというキーワードでTVやラジオでぶちまける主観的コンテンツは、結局は製作者の主観であってあなたの主観ではない。あなたがそれに本当に旅情や郷愁を感じるのならそれは幸運な事なのだが、不幸にしてそうでないのなら、「俺の旅情や郷愁」を改めて探してみるのもいいと思う。
少なくとも、ガイドブック通りに行くだけの旅よりも、よほどあなたのためになるだろう。

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