2009年11月3日火曜日

う〜ん

一次創作の方に置いてある昔の考察について「内容が稚拙すぎる」というツッコミがありました。

いやまぁ、わかっちゃいるんですけど ^^;
そもそも正真正銘の中学時代(αの原案考えてた頃)のネタのうえに、現在の私自身があまり理屈を重要視してないし、そもそも読んでる自分自身が相当にムズがゆい内容です。
でも「むず痒い」って理由だけで取り下げてたら、到底出しておけないものはいくらでもあるので、ギリギリ未だ残ってたという次第です。

とはいえ、読めたもんじゃないというのも貴重なご事実です。該当作品はやはり削除しましょう。ご意見ありがとうございます。

ちなみに余談ですが、「こんな稚拙な理論は読めない」とおっしゃる方……うちにある『α』の系列の小説は全部あの理屈でハイパードライヴしてます。最近書いてる部分もあるけど、基本設定は当時(1982時点)のものをそのまんまなぞっているのですから。
ですが、こちらはこのままで書き直しません。
若干繰り返しになりますが、現在の私はこのあたりの理論を重要視していない。むしろ重要視したいのは異星文明や社会構造などに関連するテクノロジーやギミックの方だからです。
わざわざ「稚拙な理論」を飾っておく必要はないでしょうが、それを土台にして書かれている作品については個人的に問題ないと考えております。

ありがとうございました。

6 件のコメント:

abigail さんのコメント...

超光速理論を問題にされると、80年代どころか現在説得力があるものはほとんどない。

ってか、現在分かっている限りでは、量子論的なものを除いて、超光速を可能に出来るような方法が開拓できそうな分野すらない。

そもそも古典SFの超光速航法は、大抵、説得力どころか矛盾点が出るくらいなんだが。(一番凄いのが「宇宙のスカイラーク」だな。何しろ「相対性理論は所詮理論に過ぎん」の一言で理論無視で光速突破したから。)

小説の三本柱は、キャラクター、ストーリー、世界観である。
SFに於いては、科学的な知見が世界観に強く組み込まれる傾向があり(初期のSFは最新科学の先にある予測の文学の面を持っていた)、ハードSFと言う一分野を形成するに至った。
しかし、どんなにハードな知識を披瀝しようと、予測の域で説得力がある仮説を展開できるのは、現代科学のいいところ半歩先までである。
現代科学から何歩先か分からない(あまり調べられていなくて、半歩先か10歩先か分からないようなもの)は、ネタになる。

ために、新しい分野に注目が集まると、そこに「当時の目からは最新科学、後世から見るとトンデモ寸前」の作品が出現する傾向がある。

20世紀中旬までの作品で「原子力」「放射線」と言ったら、「イイモノ」である。
しかし、実物がどんなものか知れ渡って来ると、核は忌まわしいものとして放射能防護壁の向こうに封印されるようになった。

80年代の作品で「遺伝子操作」と言ったら、銃弾でも死なず、頭をフッ飛ばしても再生して来る生物が(以下略)。
90年代の作品で「コンピュータウィルス」と言ったら、世界中のコンピュータが暴走し、「ナノテクノロジー」と言ったら、生き物のように自己修復したり、何がなんだか分からないメタメタな怪物になったりするメカが(以下略)。

要するに、読者がある程度事情通になるくらい正体が知れ渡った分野では、ハードSFを書くハードルが極端に高くなる。
その状態で最新知見をきちんと使いこなせたとしても、「キャラクター」「ストーリー」「世界観」のバランスが保てるほどのものが書けるかというと、
「リョウ、恐らくは全てを言葉にしようとすると、永劫の時間が流れてしまうのだ」((C)早乙女博士 by ゲッターロボ)
と言う事になる。

そうなると、「作品に占める科学的知見の重要性」が低い分野でしか、そうした知見を取り上げたテキストは書かれなくなり、
ハードSF→シリアスSF→ライトノベルへと、作られる物語の性質も変化していくのであろう。

つまり、「世界観に取って必要欠くべからざる柱」から「ギミック」への重さの変化である。

「同時代の一般読者が読める小説」と言うものに求められるバランスを超えて、世界観の一部でしかない知見に拘るのは、現代ではやはり難しいと言うか、ナンセンスに近いだろうと思われる。
書きたいことがそこにないなら、科学的知見はギミックに留めるのが得策であろう。
何しろ、書くのにも読むのにも永劫の時間が必要なほどの知見は、待っていられないからである。

hachi dash さんのコメント...

>>超光速理論を問題にされると、80年代どころか現在説得力があるものはほとんどない。

うん、同意です。
そもそも現時点で「正しい超光速理論」を書いた人がいたら、その人は歴史に名が残りますね。
だから「稚拙にすぎる」と言われても、よりによって超光速理論で「じゃあ、きちんと理屈の通ったものに変更」なんてできるわけがないんですよね。だってそんなもの現時点じゃ人類はまだ持っていないのだから。

ようするに「もう少し耳ざわりのいい内容にしろよ」と言いたいのかもしれないけど、考察文は所詮考察文であって作品より優先度は低い。だから「了解、じゃあ消しときますね」で終了というわけです。

余談だけど、この手のツッコミは以前にもありました。
中には延々と「人型の兵器なんて無意味だ、球形こそ正しい」なんてご自分の理論を延々と掲示板で論ぜられる方もおられまして。あの時は作中で「効率的かどうかはともかく(歴史的事情)で人型をしている」としているのにも関わらず、人型なんてばっかじゃねーの、みたいな書き込みやメールがやってきて正直かなり落ち込みました。

今回私が該当の方のツッコミに対し、該当作品はそのままにしますと言い切ったのはそういう理由もあります。先生と同じ事を書いてもよかったのですが、それを私が(コメントでなく)本投稿で書いてしまうと、あの頃の罵倒大会の蒸し返しになりそうだったので ^^;;

あれは不毛っていうか申し訳ないけど時間の無駄ですからね。
何せ、ひとつ間違えると皆が「証明のしようもない妄想持論」を押し付けあってフレームぶつけあうするだけの空間になってしまいます。 ^^; 「議論」ですらないのです。

abigail さんのコメント...

「理論は飛躍する!!研究は飛躍する!!
 理学は実践を食んで油断なく進む!!
 そうだ!!
 いつの日か!!いつの日か!!
 世界の全てに、1人残らずに配給するのだ。
 奇跡のような科学を!!
 科学のような奇跡を!!」((C)ヘルシング/博士))

初期のSFの処女地は「未知の宇宙」や「未知の物理」であった。

アンタレスからやって来たサソリ人間と、フォーマルハウトからやって来た魚人間が、
永遠に雨が降り続ける金星の霧の都で、アチャラカホンダラゲ光線銃を使って決闘し、
透明人間は火星人の三本足戦車に細菌戦を行い、タイムマシンに乗ったネズミは進化してネズミ男となり、
絶世の美女である火星王女は凶悪な水星人貴族に
「私の言う事を聞かなければ、この原子核破壊光線で都を消滅させてやる」
と脅迫されなければならない時代であった。
さらに!
とりあえず、どんなに寒くても女性キャラは布地の少ない服を着なければならない。
ベムが一つ目玉であるとか触覚つきであるとか、ぬるぬるの粘液に包まれていなければ
ならないのと同様にである。
特殊放射線でサボテンが知的生物になるのは、当たり前だのクラッカーであった。

言わばSFの大航海時代である。
この時代の勃興期は、地球人もまだラジウム原子弾を使う程度であったが、
中期になるとアトランティス大陸を沈めるのがブームになり、後期ともなれば
惑星破壊兵器は出て来て当然、惑星に原子ロケットを装備して航行させたり、
恒星を新星化させたり、宇宙空間そのものを破壊すると言う兵器を開発、
自家用に実験室内に宇宙を作ったりなどという所業をたった一人でやってしまう
ゴーカイさんまで登場したのである。

時代が下ると、問題の焦点が「居る」から「何故居なければならないか?」に移る。
「そこに放射能で巨大化したアリが居る」ではなく、「何故そこに居るのか」
「巨大アリを見つけた人々は、その時どうするのか」へのパラダイムシフトである。
博物学が地質学・生物学などに移って行くように、知の暗黒大陸スペースレムリアに、
「こちら歴史SF」ファウンデーション(アイザック・アシモフ)
「こちら社会SF」未来史シリーズ(ロバート・A・ハインライン)
「こちら思弁SF」2001年宇宙の旅(アーサー・C・クラーク)
など、124C21+本の道路標識がおったてられ始めていた。

「科学的知見の百貨店」としてのSFの草創期から黄金期とも言えるかも知れない。
ハードSFが先端からやや滑り落ち(なくなった訳ではないが)、シリアスSFが大人の読み物
として楽しまれ始めた時代である。

この時代の黄昏は、USSエンタープライズ号のフェイザーがあまりにも効かないので、
光子魚雷が装備された事に始まり、キカイダーが悪の心に負けちゃいけないんだと良心回路を
自己進化させてミカエルになった頃でもあろうか。

つまり、その頃になると科学は良い事ばかりではなく、工場の出す黒い煙はいつの間にか
ゴジラと戦う謎のヘドロドロドロ公害ロック生物と化しており、戦略コンピュータコロッサスは
ガーディアンと連帯してスカイネットの祖先となり、世界はこのままでは核の炎に包まれて
荒野の支配者ヒューマンガスは部下の首を締め上げると言うローマ・クラブの予測が出たり
しちゃったりなんかしてるわけなんだなこれが。

「科学するのはイイコトなのか?」などと考え始めちゃうと、物語は政治的になって来る。
デューンシリーズ(フランク・ハーバート)
ハイニッシュユニバース(アーシュラ・K・ル・グィン)
宇宙の戦士、月は無慈悲な夜の女王(ロバート・A・ハインライン)
スターメイカー(オラフ・ステープルドン)、幼年期の終わり(アーサー・C・クラーク)
などは、この状況を超えて進むには?と言うのをそれぞれの作家が思索した結果のように見える。

「土地が人間を作る。つまり、変な動物が居る土地には、変な人間が居る」と、砂漠の民フレーメンは言う。
しかし、フレーメンの土地には砂虫(サンド・ウォーム)が居るのである。
SF史上一番変な、とは言わんまでも、核でも上手くやらないと殺せないと言うスーパー頑丈生物である。
フレーメンの小宇宙(コスモ)が戦闘的であるのは言うまでもない。

人間は土地と時代性を反映するものである。
冷戦を反映したのか地球はちょっと冷え、米の作柄が良くないので東北では太陽中心核から
核融合物質をテレポートさせ、「萌える第五惑星」を建造するジェネシス計画が立案され、
ノストラダマスは秘密文書をコンピュータ暗号で記述し、タンバさんは
「これは私の想像ですが」と言いつつ、オゾン層破壊でブログが炎上する様相を映画で予言していたのである。

その頃になると、日本は週1回沈没していたし、さらに「レベル・セブン」地下核ミサイル指揮所からの
指令によって全世界が真っ黒になるほど放射能漬けとなり、猿の軍団はユートムの指示により、
美女を東京タワーに縛り付け、「ザルドォーーーース」と、空飛ぶ鬼面像に祈りを捧げて銃を貰っていた。

暗黒時代の到来である。
要するに、「高度に発達した科学技術は、奇跡と見分けが付かない」(アーサー・C・クラーク)ところまで
行き着く前に、読者の平均的理解力の限界が来て、科学は「なんだか良く分からんもの」になってしまっていたのである。
なんだか良く分からんものであるが、しくじると公害とか核ミサイルとかヤバそうなものが一杯出来るので、
一昔前のように「素晴らしい原子力ランプで、今日もニコニコ明るい一日」と言うわけにはいかなくなった。
結局、冷戦期以後、
「科学は意外と使えないが、それ自体が悪いわけではない」
「技術はブラックボックスでも、何となく進歩していくし便利だ」
と、開き直ってお客様精神になった観客が帰って来た頃、SFにおける科学はギミック化が進む。
「リングワールド」(ラリー・ニーヴン)などに代表される、ワンダーランドであり、
ハイテクのディストピアとしてのSF的世界の勃興によりSFは生きながらえ、新しい波が訪れた。

サイバーパンクやライトノベルのSF性と言うのは、
「なんだか良く分からないがとにかくすごい科学」
がギミックでしかなく、物語は基本的なキャラクター・ストーリー・世界観のバランスのなかに
戻されたと言う意味で、復古である。
初期のSFのような大胆さはなく、黄金期のような実験性はない。

ある意味、ジャズやフュージョンが「音楽の一つのスタイル」であるように、
「文学の一つのスタイル」としてのSFは、メディアの勃興から中興、没落期を経て一巡したと言える。

人々がまだSF的なるものを欲している、という証ではある。
しかし、これも永遠ならざるものだ。
「物語」が人々の時代や生活を写す窓であるならば、「そしてこれもまた過ぎ去るべし」なのである。

何にせよ、明日もまた期待しようではないか((C)内田美奈子 DAY IN DAY OUT)

ふうらいぼう さんのコメント...

 最新物理学やら何やらを囓った評論家気取りの読者ほど困ったちゃんはいないものですね。
 我が輩は猫であるを、猫がしゃべるわけ無いからこれは悪文の典型だ! とか宣った、○○な教師の教え子だったことがあります。師曰わく、マルクスの書籍を始めとするうんぬんかんぬんこそが……はあ、そうですか。
 最近の小説界に元気がないのも、こういった評論家気取りの手合いが増え、ネットで発信することが増えたというのも一因でしょう。しかも中傷までほぼ匿名でできてしまう、なんて素敵な悪夢! SFファンダムもいろいろきな臭い匂いがしますしねえ。SFというジャンルは、もうすぐ滅びてしまうのかもしれません(実際、英国ではSFは数千部も売れないそうです)。

 物語は物語として、どうして受け入れられないのでしょうかね。
 だまされる喜びを噛みしめることは、読者の特権だと思っていたのですが、どうやら最近は違ってきているようです。
 特にネットで発表されている小説は、自分の好みに書き換えられて当然だという手合いが多く、私もそれでごっそりと気力を持って行かれてしまいました。過去に有名だったネット小説家さん達との話の中でも、モチベーションを保てないという話題がちょくちょく出てきました。
 続編を書け? 書く気力がありません。いや、この話を書いたんだから、お前には続きを書く責任がある! などという、大変素敵な読者もいらっしゃいます。

 はてさて。お話を書くというのはどういうものなのでしょうか。とても悩んでしまいます。
 私は、はちくんさんの書くお話がとても好きで、無くなってしまった話も含めて、とても大好きです。古き良きSFの匂いもする(ああ、野田元帥よ永遠なれ!)、素敵な世界のお話の続きを、どこまでもどこまでも読み続けていたいと思っています。
 最高の物語は、終わりのない物語。永遠に続く話だと、栗本薫氏はグインサーガの第一巻で書いていました。詮のないことではありますが、いつまでも書き続けてくださると、一読者としてこれ以上の喜びはないのですが……。

hachi dash さんのコメント...

>>先生

あわわ、そこまで突っ走られると反応に困りますがな先生 orz

しかし、壮大な時間を経てSFが再びギミックに再帰していくあたりまで激しく同意です。
私は元々持っている世界観が「銀河文明における社会構造や文化」とか、いまいちメカニズムや科学寄りではないのですね。その意味では狭義のサイエンス・フィクションとは少し違うんじゃないかと思っています。むしろスペースオペラに少し親近感を持ちますが、あそこまで娯楽にも徹しきれない。まぁ、手足のないいもむしヒロイン(しかし電子戦の天才)とか、意識は男だけど少女型のドロイドの身体にされちゃった主人公とか、異星かつ異文化の世界の魔法少女とか、好み全開のネタは多々取り扱っておりますが ^^; 異性の一卵性双生児(片方が仮性半陰陽で実は同性)とか……背景が宇宙文明だったりマクロだったりするだけで、実は普通の話が多い。そもそも「地球文明の未来」の話なんか書いた事ないしなぁ。そもそも私の世界設定では、地球人の宇宙進出の全盛期は(以下略)

>>ふうらいぼうさん

どうもです ^^

しかしまぁ、忌憚のない意見なのも事実なんですよ。的確なツッコミをくださる方もいますし、やはりその意味ではツッコミ歓迎です。
(さすがに、読みにくいという事で、読みやすいものの例にドラゴンボールを出された時は「そっすか」で終わってしまいましたが……漫画が読みたいのなら絵師の方のところにどうぞと)

>>自分の好みに書き換えられて当然だという手合いが多く

あらら… @@;
うちも、一次創作の方で一時、獣姦だグロだと散々叩いてくる人がいましたねえ。いや獣姦って何よと。種族系統違うけど両方とも人類なわけで、獣扱いってどうなのよと思うけど、もう見た目が獣ならダメみたいなんですな。

けど、明らかに「ちゃんと読んでない」人については「読んでから言ってください」ときっちり突っ返した事もありますね。
的確なツッコミだとズーンときちゃって、時としてはズンドコ落ち込む事もあるんだけど、最近は、そもそも読んでないようなのはあまり感じないです。行間うんぬんじゃなくて、明記してる事すら読んでないんだもの。

それに、仮にツッコミの方が一理あったとしても、自分が書きたくない事は書かないです。「あなたの言いたい事はよくわかる。でもこれは私が好きで書いてるものだから、私の好きなように書きます」というニュアンスの答えを返した事もあります。

まぁ、喧嘩腰にはならないように留意してます。
ていうか、そったら事してる暇はねえです。
最近、初期の頃のようにあちこちバイクで走り回ってますが、こっちの方にもいいネタが仕込めそうでいい感じです XD

abigail さんのコメント...

>あわわ、そこまで突っ走られると反応に困りますがな先生 orz

いや、不覚にもその時ちょうど
「ハイパーモード」
の発作が出ましてorz

さらに!!
宇宙から降り注ぐオゾム毒電波のパルスが、晴れた日は良く届くから(ボグッ)

なかなか失礼をば致しております。
自己修復機能を起動中であります。