2009年10月2日金曜日

むしろ女性不信とかの方が強くないかね?

痛いニュース(ノ∀`):マンガやゲームに夢中となり、現実社会と向き合わない男のせいで日本は衰退していく…英BBC記者

私も独身だけど、姉貴にこんなことを言われた事がある。
「いい子を紹介してあげたいんだけどね。でも正直、わたしも最近の子は不気味だよ。何考えてるのかわからない
同性が言うくらいだから相当なんだろうね。姉貴は営業職で人とよく会うのに、それでもこうらしい。

反面、(女性に|男性に)近づかれるのも嫌というケースも男女同様に見受けられる。
家でも通勤中も職場でも女性に気を使ってばかり、これで結婚でもしたらどうなるのかとためいきをつく男性。
自意識過剰で被害妄想に強烈にとりつかれ、視線を向けられるのも嫌と嘆く女性。
ふと見れば女性向けには「収入低い男や醜男と結婚するのは負け組」みたいな価値観が蔓延して、
振り向けば男性の方でも異常なほどの処女信仰や、ばりばり高い支配欲。
そしてとどめに「結婚して子育てをする事」自体が価値のある事とみなされていない」のだ。

これで、そもそも結婚する人が半数いるというのがむしろ凄いと思うのだが。

ちなみに、こんな意見も。
691 : ノイズf(愛知県):2009/09/29(火) 11:13:36.66 ID:OdGBpl1l
現実が俺に厳しすぎるのが悪い
なにやってもキモーイって笑われるんだったら何もしないほうが楽
細部はともかく^^; 言いたい事は確かによくわかる。
変な環境で珍獣認定喰らうと、もう何やってもそういう評価を押し付けられるだけになる。
それ自体は確かに不愉快ではあるんだけど、どう転んでも改善されない悪環境に力をさくだけ時間の無駄ですもの。
よほどその環境を愛しているのならそれでも戦うけど、そうでないのならこっちから捨てますわな。
少なくとも「押し付け」のない環境を求めて。

4 件のコメント:

abigail さんのコメント...

地方(九州)でしばらく仕事して来た感じからすると、地方にもある程度、未婚・非婚が蔓延している。

確かに地方でも、若いうちから結婚している人は多い。
あるいは、都市部では考えられないほど凄い性格をしている人でも、きっちり30代には結婚していたりする。
が。
結婚していない人はやっぱり結婚しておらず、30代で婚活している女性が居たり、あぶれている男性が居たり。
理想が高い人は、きっちり高い。
女性側の理想を検分すると、「当たり前」と思っているレベルが、周囲の男ではなく、上等な男に合わされている。
「人として当たり前」と思っている容姿・生活のレベルが、そもそも「上等」になっていて、「周囲」に合っていないようなのだ。

世代的に、今の20代は早婚、30代はラスト・ワンチャンスに賭けて婚活中だと言う。
しかし、女性の30代に対する同年代もしくはより上の世代の男性の目は厳しい。
これは、同種サイトの統計資料から知っている話(笑)なんだけど、35歳を境界に、
「女性から男性の交際を求める比率」と「男性から女性の交際を求める比率」が一度に逆転する。
それも緩やかな逆転じゃなくて、極度の違いになり、後は年々低下して40歳でゼロに等しくなる。

35歳以降の女性がなんで忌避されてるのかと言うと、世代ではなく(知る限りでは5-6年、その比率は動いてないし)
遺伝的に問題が生じる確率が同年代から上がるから、だったと思う。
30代後半に入ると確率が増大し始め、40代で無視出来なくなり(閉経も始まる)、42歳でほとんどの人が子を産めなくなる。

男性の男性としての価値、女性の女性としての価値の一部は、紛れもなくセクシャリティーと共にある。
そして、性の神話は生殖の神話である。
その能力があるのとないのとでは、点の付き方が違って来るのは仕方のない事だ。

男の処女信仰ってーか、20代までに大半が経験し、多くが早婚していく今の20代と、30代で半数が未婚、
50代で2割近くが未婚と言うその後の世代の相違は、単純に収入でしょう。

男女平等で賃金の格差が減少した結果、男は1人では世帯を支えきれなくなった。
共稼ぎを望んでも、女性側が家庭に入る事を望み(それも、年代が高くなるほどね)、高収入で安定した男を望む。
それで、ニーズが合う訳もない。

同記事にも載ってたが
「そうやって、全部男のせいにしてればいいよ」
と言うセリフが、鏡合わせで「女」「社会」「時代」に合わさっていく。

結婚したから生活の質が上がる訳ではない。
ただ、総収入の増加、生活資本の一本化によって効率が上がり、資産形成は楽になる。
あと、子供という長期投資をする事で、一族の中に、老齢に達した時に自分を担保してくれる人材を育てる。
結局、この古いモデルは何千年も機能して来たし、日本のように「一山当てる」事が難しい社会にあっては、
順当に子を成し育てて居た方が、老いてから落ち着いた暮らしが築ける可能性は高いだろう。

本当の資本主義的・利己主義的な言い方をすればそうなる。

もちろん、失敗すれば子を育てないよりも倍も酷いことになる。
冨野良幸が、「ターンエーの癒し」で自らの家族について語っているように、健やかに生きるには
「子供に愛される親(老人)にならなければいけない」
のだ。
しくじれば、投入した時間と資本は戻らず、再び(今度は耐え難い)孤独と、場合によっては失敗した
家庭で築いたマイナスの資産が、男女両方を窒息させてしまう。

女性は、感情(情動)の生き物である。それは、可愛い事でもあるが、同時に、身を慎まねばならぬ事でもある。
男性は、細やかな感情に疎く、緊迫した状況では戦闘機械となる。しかし、現代ではそれはほとんどの場合必要ない。

家庭と言うのは、両者がその本性を少しずつ緩めなくては成り立たない。
「もっと多く」を求めて家庭に入り、「もっともっと」と求める事で失敗するのであれば、それは勘違いなのだ。

人間は子供から男女になり、そして老人になる。
個である事は変わりないにしても、家族である、一族であると言う事は、有形無形の義務を負う事になる。
それは、この資本主義の社会で言えば、有形無形の資本を突っ込んで、「家族」と言う集団を立ち上げる事なのだ。
会社を興す、サークルを起こすと言うのと同等以上の苦労を背負い込む事なのである。

背負い込むのはともかく、その価値があるのか?と言う事について、我がギャラクター同志との時を過ごした総裁である私の答えは、
「共にする相手による」
としか言いようがない。

全てに完全な同志など、絶対に選べない。
この世にそんなものは居はしないのだ。

それが分からない人間、自分が健やかな老人となり、悔いなく死に行く道程に家族があるのだと思えない人間は、少なくとも自分の家族には必要ない。
そんな事を思う。

hachi dash さんのコメント...

うちの母がたまに言う古い言葉で「割れ鍋にとじ蓋」って言葉がある。つまりダメな組み合わせって事だが、「夫婦なんてそんなもんよ」と。円満のコツは許す事などともいう。
どっちもいい言葉だと思います。

未婚・非婚の蔓延は凄まじいものがありますな。うちの地元でもそうだと思います。
だいいち、結婚の意志なんて双方とも持ってない。いや女は意志持ちもいるかもしれないが、おそらく総じて身の程知らずに理想高いんでしょうな。
「残ってるからにはそれなりの意味がある」つまりワケありという時点で安く叩かれるはずなんですが、どういうわけか無意味に理想が高い。

>>「人として当たり前」と思っている容姿・生活のレベルが、そもそも「上等」になっていて、「周囲」に合っていないようなのだ。

そそ。
それを「普通」と思ってる痛さったらもう。
まぁアレですよ。「一番ヤバい奴はその自覚がない、自分を普通の奴だと思っている」という奴ですね。
そこで、自分がニッチと早期に自覚すれば、軌道修正するなり個性派で突き抜けるなりが可能なんですがね。

>>「女性から男性の交際を求める比率」と「男性から女性の交際を求める比率」が一度に逆転する。
>>それも緩やかな逆転じゃなくて、極度の違いになり、後は年々低下して40歳でゼロに等しくなる。

そりゃそうでしょ。
単に男の好みがどうの以前に「子供」という選択肢が潰えるんだもの。

もちろん、男の未婚問題で収入や将来が非常に大きいのはわかってますよ。私だって結婚話でもあれば収入で躊躇します。でも子育てを思うと、どちらかが家にいたいですからね。古いも新しいもねえ、当然でしょう。

ただ、本来の結婚はabigailさんの言う通り、家族という団体となって困難もともに分かち合うものなんですね。実際、ブームとかでなく本気で婚活している若い世代の中には「こんな大変な時代だからこそ協力しあえる家族を」という奴がしっかり混じってるし。

生活苦があたりまえの時代になればなるほど、コミュニティとしての家族の存在が大きくなるんですがね。
でも、その社会は個人の人権を保証する社会ではない。集団維持の方が個人より優先される原始社会主義だ。
さて、今の、特に視線の歪んじゃってるスイーツな女性陣に耐えられますかな?

abigail さんのコメント...

恋愛結婚が9割を占める現在、結婚事情は恋愛事情とも言える。
つまるところ、この件については恋愛資本主義と、その破綻に関するブログの批評を共にテキストに出来るかと。
本田透は好きじゃないんだが(しろはた時代のコンテンツ読んでたもので)。


恋愛資本主義派の意見:
・バブル期に恋愛の市場化が起こり、「いかに愛するか(質)」が、「どれだけ愛するか(量)」に転化された。
「幾らなんでも、このくらいのサービスはパートナーに提供してしかるべき」と言う最低水準が市場化(オープン化)された。
・同様に、容姿や社会的スキルの水準も市場化された。
・「当たり前の行動」の喫水線が、「個々人の状況に応じて」ではなく、消費行動によってランク付けされるものに変わった。
「最低水準を満たさないものは、恋愛市場からの脱落者となり、価値を有さない」
と言う、過酷な競争の時代となった。

納得が行かなくもない。
但し、反対側の主張が存在する事も否めない。
批判派の意見:
・恋愛を「勝ち組」「負け組」のような二分法や、格差思考のような「量」に転換するのは間違っている
 要は1:1のすり合わせの問題であり、自分に合う相手に遭遇できない事が問題である。
 (あくまで質の問題であるとする)
・自称恋愛弱者の、自らの努力の不足(あるいは、人間関係のわずらわしさを避ける嗜好)の問題を
 「世間が悪い」に転嫁する甘えに過ぎない
・価値観の多様化によって、女性側の男性に対する許容度はむしろ広がっている
 (これは一部で存在する。少なくとも、男性側の女性の容姿に対する注文より、女性側の男性の容姿に
 対する注文の方が厳しくないと言うのは、恐らく事実)

どちらでもない意見も存在する。
恋愛解体派の意見:
・絵に描いたような恋愛と言うものは、文字通り画餅で実在しない。
 異性間の一時的な好悪の感情にそうした名をつけ、聖なるもの、ロマンチックなものと位置づけて
 「それを穢す者は人間としての良識を持たない者」とするためのレッテルである。
 それが証拠に、「恋愛って何?」と追求していけば行くほど、模糊として実態が分からないか、
 動物的な性の吸引力に帰着されてしまう。
 
 1対1の感情の高まりとしての恋愛は、それが市場化される過程で滅びた。
 その基本が「性の吸引力」であるとするならば、SEXのためか、それに付随するものでしかない。
 そうではなく、人と人の間にある「互いを至上とする感情」であるならば、それは独占欲である。
 親子愛、兄弟愛、友愛などと恋愛を決定的に分けるものが、独占欲と性愛の結合であるとするなら、
 それが個のものでなく、市場で「消費」する事で高まり、確認できるものとされてしまっている。
 恋愛は解体され、消費行動を伴わねばならぬ「何か」に変質して、既に滅びたのだ。
 
なるほど、全て一通りの正当性を有する。
しかし、100の恋愛経験を経ても、人妻に手を出して慰謝料で借金漬けになってしまった人間が、
それほど立派なものなのだろうか。
あるいは、1人で何人もの異性と交わると言う事が、それほど質的に「良い恋愛」をしたと言う証拠なのだろうか。
病で倒れた時、献身してくれるパートナーが、その中にどれだけ居るのだろうか。
一度で良いパートナーを引き当てる人間と、何人試しても結局分かれてしまう人間と、人としてどちらが上等なのだろうか。
あるいは、パートナーが居なくても、誰にも迷惑を掛けず、プラスもないがマイナスもない人間と言うのは、
パートナーが居ても結果として周囲にマイナスの影響ばかり与える人間に比べて、どこが劣るのだろうか。
 
現在の「婚活」への同調圧力は、かつての結婚への圧力ではない。
一つは、「消費せよ」と言う、結婚産業、赤ちゃん産業(笑)、加えて政府からの「納税せよ」(特に年金)圧力である。
メッセージの濁流に乗って、子を成す事が次の市場(いわば「子孫資本主義」)になりつつある。
性懲りもなく。

統計が正しければ、少なくとも30より上の世代の人間の2-3割が、生涯結婚もせず、子も成さず、場合によっては
異性との接点すら持たずに過ごす。
その事を嘆けば、「個人の問題だ」と投げ返され、行動すれば「最低水準にも達していない」とすげなくされ、
あらゆる点で「成功だけが評価される。失敗した努力は評価に値しない。」と言う資本主義社会のルールに晒される。

子を作れ、子に金を使え、子は消費しろ、納税しろ(年金世代逃げ切りのために!)
そうでなければ”真っ当な人間ではない!そいつらに税金を掛けろ!子ありのために、子なしは血を流せ!!”
発信する側は良い。
受ける側はうんざりである。

ここに、一つの定理が見えて来る。
「人間行動のある面を市場化する(オープン化する)と、その原型(アーキタイプ)はテンプレート化される。
 つまり、”xxを持つ事=良い事”となり、”持てる者と持たざる者”が現れ、格差は表面化する。」
「市場化すると同時に、その行動の意味に与えられていた個々人の評価はテンプレートに吸収され、
 あらゆる批判は”格差の肯定”か”格差の否定”に収斂してしまう。」
xxを”恋愛”に置換しても”子孫”に置換しても”金銭”に置換しても成り立つ。
市場化とは、つまり、”テンプレートが示すものを「持つ」事が至上”とされる、価値観の平準化の一種である。
そして、「評価されるxxを持つ事」は、「多く持つ者」に利得、少なくとも精神的満足をもたらす。

「持つ事は良い事」「持つためには努力」「持たざる者はナマケモノ」
このセットが全てに適用され、反対論は負け犬の遠吠えとして圧殺される。

これは、おそらく人間が、祖先から引き継いだ仕組みに依存する現象だろう。
祖先が、木の実をせっせと洞窟に蓄えていた頃の。

人が持っていないものを持つ事、それもより沢山持つ事は良い事であり、市場化される事によって、
「それまで誰も評価していなかったもの」を持っていた者が、「希少なものを持っていた者」になり、
いきなり「xx持ち」に昇格できるという仕組み。

この仕組みの残酷さは、「底辺が持たざる者」で「なければならぬ」事だ。
誰かが持っていて、別の誰かが持っていない者でなければ、希少価値はない。
「より多く持つ事」の価値を生み出すには、「より少ない者」が居なければならない。
いや、奪ってでも格差を作り出さねばならないのである。

こうした仕組みが時代時代に生み出す悲喜劇には、理由がない。
戦争の時代に生まれた者が、戦わなければ生き残れなかったように。
こうしたものは、蝶が台風を生み出すように、理由もなく成長し、偶然にある形に収まるのだ。
文化というものは、その内部から制御する事は不可能に近い。

愛の欠乏の時代に生まれた者、全員にお仕着せの愛が行き渡る時代に生まれなかった者は、
「何も貰えない」か、「運良く手に入れられる」以上の事は望めないのだろう。
恐らくは。

hachi dash さんのコメント...

うん。
「子供作れ」でなくて「納税者を作れ」ですからね。本音は。
でなきゃ「子供がなかなかできなくて大金ぶっこんで苦労してる夫婦」とかにもなんらかの配慮するだろうに、そういう事しないから。
もう「子供いないんだから金だせ」それだけだから。

本当に「子供増えてほしい」政策なら、社会のすみずみまで「子供ほしいね!子供いいね!」と思わせるプロパガンダが必要だろうに。
それすらもしない。煽れば乗ってくると思ってるのかね。
だけど、ほとんどの人は乗ってこない。載せられてる人もいるけど、昔に比べるとずーっと少ない。

浅墓?いやいや。むしろ「露骨」だろう。下心を隠しもしてないもの。あさましい事よ。

今日本に必要なのは「子供生んで育てたい、家庭作りたい」という人をたくさん育てて、それを主流にする事。
しかも、だからといって子供がない人や独身者を差別する流れを作らないこと。

ここまで広がった未婚・非婚の流れをぶっちぎるのは確かに大変だ。
だが、独身者等に負荷を押し付けるだけの政策では社会自体が健全に動作するわけがない。
なぜなら、不当に差別されていると感じている人間は、不当に優遇されている人間に優しくなれないからだ。
そういう方法で安易にやろうとすると、さらなる問題が吹き出すのは目に見えている。

結果的にそうなるのだとしても、民衆にそう思わせちゃったら負けなのだとおもう。