2009年10月11日日曜日

酷道が国道になる時

こんにちは、hachikunです。

ツーリングと思いきや母入院、それでもしぶとく早朝ランしてお目当ての隧道だけはチェックしてきた親不孝者のhachikunです。畜生、朝五時前の高知は寒かったぜ。

そんなわけで、面白いものを見つけたので記事にする前に先に報告します。

荷瀧隧道





この変てこりんな隧道はR194の旧道にあります。昭和19年竣工ですが、総素彫りの渋い奴です。どうやら神社のご神体であるとか、いろんな理由があって開削とか大工事とかできなかったようですね。それでも穴あけただけでも凄いものがありますが。

ちなみに長さは5mそこそこ、明らかに長さより高さの方が上です。1.5車線ギリギリありますかねえ。

だけど、この隧道が凄いのはそこではない。

なんと、これ昭和53年まで現役のR194だったのです。簡易舗装もしくは未舗装。

ちなみに他サイトによりますと、新トンネルの横には完全廃道ですがここにつながる旧道があるようです。それはアップダウンを繰り返しつつ、おそらくこの幅のまま走っていた模様。なかなか険しいですね。

さて、これを覚えたまま次に行ってください。

山王隧道


同じくR194の隧道です。
竣工はやはり昭和19年。
戦中とは思えない立派さは、どうも軍用に整備をしていたらしいです。資材搬出のためでしょう。


でかいのは新トンネルで、昭和48年三月の竣工です。新旧並んでいる姿は確かにユニークだけど珍しいものじゃありません。



巾員は1.5車線くらい。
前後とも未舗装です。
この区画は舗装のチャンスすらもなく旧道になったようです。

アップダウンがあるのにお気づきですか?旧隧道の方が小さいのですが、少し道があがってます。反対側もそうで、新トンネルにする時、まっすぐに正したようです。

ここには高知県側坑口の写真がないのですが、こちらも同様です。

ちなみになんですが、旧寒風山隧道にも本日登りましたが、この途中の道路は、つづら折れの一車線の上にガードレールなし、落ちたら即死という猛烈な登りでした。ところどころに離合のための広場はありますが。
枝道は全て完全砂利の林道作業道、および登山道。

さらに、こちらのページに昭和40年頃の国道194号の写真が……おぉ、これは @@;

 おお。R194は元林鉄の部分もあるのか。そういえばこのあたりには林鉄跡がありましたな、大森隧道のある大森山とか。
 この方のページによれば、元々R194添いの集落では仁淀川などの河川に材木を流していた。それが林野鉄道に切り替わり、やがて国道にとって変わられたという事になります。
 
で、とどめ。母の話です。

「昭和40年代はじめ頃かしら、お父さんと一緒に走ったのよ。アップダウンが激しくて砂利道と簡易舗装の多い狭くて細い道でねぇ。高知市を朝に出たのに、寒風山の隧道を抜けて西条側に出た時にはもう夕方だったわね。もう戻るのは嫌だって、R32から帰ったわ」(以上、共通語翻訳・hachikun)

 ここからは推測になる。

 元々R194は、林鉄などの開発の中で作られて行ったものと思われる。戦争中に資材運び出しのために急整備された隧道などがあるのもその証拠である。
 しかし仁淀川などに添うこの谷は道路を渡しにくく、とどめに県境にそびえる寒風山が峠越えを非常に難しくしていた。標高は2000mそこそこなんですが、非常に急だったもので。

 長い間、この国道は佐川(さかわ)などの近隣集落の人のための道路でした。徒歩が林鉄になり、国道になってもそれは変わらなかった。高知県側の集落と愛媛県西条市の交流は昔からあったが、それはもっぱら標高2000mの峠をはるばる越えてのものだった。

 だが昭和34年、車社会のために寒風山に隧道を掘ろうという計画が持ち上がる。途中の大破砕帯への遭遇などにもめげず、昭和39年、現在の旧寒風山隧道が完成した。1000m近くの標高を越える立派な隧道はその後、数百m下に新寒風山トンネルができた現在も、危険物搭載車や登山客、寒風山自体が目的の観光客などの集まる場所となっている。

 おそらくですが、R194は昭和50年代までは随所に未舗装があり、なおかつ1~1.5車線でアップダウンも激しい現在のR439なんぞ裸足で逃げ出す超のつく酷道だったと思われます。
 整備されたのは最近の事なのでしょう。愛媛県側からR194に入ろうとした福井県のプータローおじさんは「大変だったよー」と言ってましたが、実際そうだと思います。

 R194の名誉のために言っておくのですが、ちょっと前の高知県の国道なんてそんなものです。何しろ高知県は私が子供の頃、全国の道路舗装率ワーストだったはずです。沖縄にも負けていたのです。
 実際、高知市から車で足摺岬に行こうと思えば私が小さい頃はめちゃめちゃ早朝起きの世界だった。寝ぼけ眼で四万十川を見た六歳の頃とか今も覚えてます。

 しかしまぁR194は今もなお、まだまだマニアックを残した国道と言えるでしょう。


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