まぁ今どき、Shocking Blue自体を覚えている人も少ないだろう。70年代のオランダのバンドだが欧州のみならず、『Never Marry a Railroad Man(邦題・悲しき鉄道員)』など日本でもヒットを飛ばしている。アメリカで売れなきゃと拘りの御仁ならば『Venus』を推しておこう。ただしShocking Blue自体は一発屋のポップバンドというよりむしろ、もっとアンチームで民族色すら感じるサイケデリック・サウンドのバンドであった。少なくともマリスカ・ヴェレスの絶頂期は。
さて、このマリスカ・ヴェレスである。
だいたい、私の感覚で「あーなんかこの人キテるな」と思った人は大抵普通じゃない。若い時代の彼女もそのひとりで「鉄道員なんかと結婚しちゃダメよ、時々優しくなるけれど彼(の心に)はいつも新しい列車(の事)ばかり」と歌う彼女はどこか普通ではないオーラを強烈に漂わせている。マリアンヌ・フェイスフルを魔と人の混沌とするならば、彼女は人界で人波にもまれて生きる低ランクの天使であろう。高ランクでないがゆえに人の世から逃れる事はできず、しかしその翼と纏うオーラはやはり人界の属性にない何かを漂わせている。
実際、生涯独身で猫とお茶とケーキを愛して生きた、なんて逸話もそれを象徴していると言えよう。麻薬と退廃におぼれ一時はホームレスになりかけたというマリアンヌのもつ「人間臭いほの暗さ」を彼女は持たないが、しかしその背後にはやはりナニカが見えるのだ。
それは「普通の女」とは違う何かで、それは美点でもあるし、どうしようもない欠点でもある。つまり普通の女のように「いい男とくっつく」という感覚も「社会的に自立して成功」すらも持たず、マイペースの自分の価値観だけで生きてしまう「何か」だ。
個性派と言えば聞こえはいいが、キリスト教世界でこういう生き方はかなりきつかろう。マリアンヌのように溺れる方がまだ楽なはずである。
その意味で、やはりマリスカ・ヴェレスは凄いのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿