痛いニュース(ノ∀`):富野由悠季「“萌え”だけじゃなくて、“萌え”から先の内容も作れよ」
742 : 電子レンジ(東京都):2009/12/08(火) 22:08:35.44 ID:M9xLpX6a
だいたい女の子ばっかの集まりがあったらさ、あのけいおん?とかいうアニメみたいな
ほのぼの加減には絶対ならないって。
あーいう人格の欠片も無い、操り人形みたいなキャラに興奮するってどうなのかね?
795 : ゴボ天(関東・甲信越):2009/12/08(火) 22:10:39.08 ID:xnbtZxCE
>>742
現実に失望してるんだよ
サザエさんみたいなもんだ今時あんな家族ない
911 : 筆ペン(catv?):2009/12/08(火) 22:14:27.83 ID:Xfx6vsR5
>>742
二次という非現実の舞台で、
現実に起こるようなことを描いても疲労が溜まるだけなんだよ
現実逃避するためにも、夢のような世界を描くことはアニメを作るうえでの必須条件だと思うよ
751 : マイクロシリンジ(福井県):2009/12/08(火) 22:08:57.66 ID:+M+c0Ybq
萌えブーム始まってから何年経つんだ・・・?
流行り廃りの激しい業界じゃないのか
785 : セラミック金網(コネチカット州):2009/12/08(火) 22:10:10.87 ID:9na0AAio
ZZガンダムは今見ても面白いのか?
806 : 拘束衣(福岡県):2009/12/08(火) 22:10:59.06 ID:KptbjZbN
>>785
BSで見てるが辛い
がまあたまに面白い
965 : 浮子(長野県):2009/12/08(火) 22:16:07.46 ID:dk0UDPa1
>>785
Zから引き続き見たが途中で切った
802 : 滑車(大阪府):2009/12/08(火) 22:10:51.54 ID:QFzzlowR
どうでもいいが
結局ガンダムを超えることが
できないな
萌え以上に深刻だと思うが
805 : るつぼ(コネチカット州):2009/12/08(火) 22:10:56.24 ID:nkGUtwqm
お前らがアニメ作った方が早いんじゃねーの
816 : ばね(関東・甲信越):2009/12/08(火) 22:11:26.89 ID:834cBey4
正直このまま萌えアニメ(笑)やハーレム(笑)がずっと続くようだったら
確実にアニメは終わるだろうな
858 : 二又アダプター(埼玉県):2009/12/08(火) 22:12:42.67 ID:y+dc5EAZ
>人として成長するのがダメになるのかが描かれていない。
>たとえダメになるとしても、そこで堕落を究極的に描けるのなら
オタクどもはそんな重い話は求めていないだろ。
886 : スプーン(長屋):2009/12/08(火) 22:13:42.28 ID:5IDiCJHE
>>858
萌えヲタはそうだろうけど求めてるアニヲタだっているよ
だからって住み分けするべきなのかどうかってのは微妙だけど
888 : ウケ(福岡県):2009/12/08(火) 22:13:43.30 ID:jJ9QAPgx
お前らもう諦めろ
お前らがネットでどう喚こうと提供する側はお前らなんか見てないから
いろいろ意見はあるみたいだけど「このままだとヤバい」と激しい危機感を持っている人が多いのには少しだけ安心させられた。
ここ数年新作アニメなんてほとんど見てないが(そもそもTV自体がもうないので普通に見る手段もないが)、最後に見た奴で「こんなのが人気アニメじゃもうおしまいだろう……」と落胆しきったのを覚えている。いや、『リリカルなのはStrikerS』なんだけど、自らの前作を完全否定するわ内容もテンプレ化してメンバーの萌えのバラエティに頼ってるわ、正直「最後まで見れば印象も変わるかもしれないが、それに割く時間がもうもったいない。もうやめよう」と視聴を止めるに至った。
おそらく、いわゆるケータイ小説がひどい内容なのと同じなんだろうな。
アニメは目でわかりやすいがゆえに目立つだけなんだと思う。
しかし、それにしても……きつい話だなぁ。
昔は私だって「アニメと漫画を同じものとして論じる愚昧さ」などを熱く友人と語ったり、深く理解するために東西の書物を読み漁った程度にはアニメ好きだったんだがなぁ。
そういう読み手は、もう古いという事なのか。
5 件のコメント:
(その1)
富野由悠季は、20世紀にガンダムとイデオンを産んだ。
マチルダさんは姉御萌え属性、セイラさんはこれに加えて姫萌え・妹萌え属性までも完備したまさにパーフェクトソルジャーであるが(笑)、
これには安彦立ち(真っ直ぐ立っているのに何故かS字型に腰のあたりが)も影響していると思われる。
富野の描く女性の色気には、「型」がある。
大人の萌え要素の一つはフォルムであり、スタイルである。
これは、一見、類型的な「萌え」の記号化と同種の演出に見えるが、実際には正反対のものである。
ガンダムに続くイデオンでは、女性キャラで大人もしくは自我が確立した人物に関しては、全て萌え属性とともに「嫌な要素」を持っていると言う現象が現れる。
レギュラーを並べると、
ハルル様(猛女)>シェリルさん(ヒス女)>カララさん(善女)>アーシュラ(幼女)
の順に毒が弱くなるのだが、この四者の毒の濃度差は、本人たちの生の感情を包んでいる
「お行儀の良さ」の度合いである。
(ハルル様をも超える即死級の毒女は女武者のルクク・キルであるが、これは作中でも
あまりの毒の強さに「逝ってよし」認定を受け、ハルルが放った忍者により刺殺された)
見目麗しくても、お行儀の良くない子はケダモノですよ、と富野は言っているのである。
どんなに貴種として生まれようと、行儀の良さは教育しないと身につかない。
最近の知見を加えれば、教育のしやすさ、しにくさは遺伝的要素で差が出るだろうとは思うが。
つまり、生まれと育ちの両方で「良い女」が出来上がって行くと言うのが、富野の「萌え」要素であろうと思う。
どんなに「良い女」でも生の匂いが残っている以上、嫌なところがある。
それこそ、嫌だと言う感情を消して付き従ってくれる奴隷であろうとも、その奴隷根性が気に入らないと言う事さえあり得るのだ。
(男女逆だが、ギジェ・ザラルがカララに惚れられなかったのは、身分違いゆえの遠慮が過ぎた故と言う演出もあった)
その「嫌な匂い」こそが、生身の人間たる部分であり、記号化不可能な点だと言う事である。
それと「富野的萌え」を両立させるのが、見目麗しいと言う事と、匂い立つ育ちの良さである。
(続く)
(その2)
現時点で、富野の最高傑作とも言える∀ガンダムに於いて、彼の考える「萌えの先」が描かれている。
人が生まれ育ち、結びつき、家族を成し、健やかに老いて死ぬ事で物語は完結する。
貴種であれば、折り目正しく生き、従容と散る。
凡人であれば、それなりの生き方を見つけ、己の場所を守る。
生き汚くないと言う事だ。
イデオン以来、富野の描く物語では、死して魂を残す、と言う形で、キャラクターの
総括が行われるのが定番化していた。
∀ガンダムが一線を画すのは、それを明確に拒否した事である。
命を投げる者は誰一人おらず、物語の完結まで倦む事なく、生きて努力し続ける。
実際の人の生き方が、十分に惑い、納得が行かず、生き汚いと言う事は論を待たない。
どんな人間の人生にも影はある。
だから、美しく光彩にのみ満ちた物語と言うのは、基本的にはおとぎ話なのである。
おとぎ話は、どの時代にも存在していて良い。
「本当は恐ろしい童話」が、実は時代を経て再解釈され、ハッピーエンドになって行くように、
陰影が忘れ去れられて光彩だけが残る、と言うのはありがちなのだ。
問題は、コーヒーに適量のミルクと砂糖を混ぜれば、毎日飲んでも大丈夫な飲料になるが、
ミルクに一滴のコーヒーとスプーン20杯の砂糖を混ぜると、代謝性毒物に近いものになってしまう事だ。
長期間そんなものを飲んでいると、糖尿病になる危険は非常に大きい。
生の匂いがする女たち、と言えば、
「今、誰もそんな重いものを観たくないだろう」
と言う答えとともに
「そうでもないだろう、皆をオマエと一緒にするな」
と言う答えが返って来る。
しかし、トレンドは時期とともに推移する。
これは先達である漫画界を見わたせばはっきりするのだが、少年ジャンプに於いても
「ラブコメ全盛期」の後に、「北斗の拳」が登場し、紙面はバイオレンスに傾倒した。
北斗の拳の場合、実は主人公のケンシロウは記号的であり、最大の敵であるラオウの方が
人間的である。
現在のジャンプの看板の一つである「ONE PIECE」の場合、主人公のモンキー・D・ルフィ
含め、主役級キャラクターには記号的な部分があるが(それでも一時の主役級よりは
よほど人間らしいが)、敵や脇キャラは非常に生臭く人間的である。
(騙される奴、裏切る奴、主人公を官憲に売る奴など)
つまるところ、これは長期連載でもゲストキャラは主役級がやってはならない行動を取る
自由があると言う性質による。
ケンシロウとラオウの関係で言えば、ケンシロウはどんな状況でも絶対に正義のフォーマット
を裏切れないのだが(突然味方を売ったりする事は出来ない)、ラオウは気まぐれに子供に
情けを掛けたり、逆に無抵抗主義のガンジーに腹を立てて撲殺したりする自由があるので、
人間的に描けるとも言える。
現在、時代劇漫画も新たなフォーマットで復興して(昔より美形を増量してある)、
結構流行っているのだが、この場合、史実で汚い手を使ったり屈辱的な目に遭う連中は
枚挙に暇がない位居るし、過去の人間は最後は確実に死んでいるので、「殺すな」と言う
制約に掛からない点も有利に働くであろう。
萌えキャラが居なければ売れない、と言うのも現実なのだが、逆に有力な萌えキャラさえ
居れば何をしても良い、と言う事も成り立つので、別に表現の自由に枷がある訳ではない。
難しいのはさじ加減であり、いずれ風が吹く方向も変わる。
嫌なのは、見るものがない時代がどのくらい続くか、であるが・・・。
(付記)
ベテランの「ボス」が率いる事務所で芝居の勉強をする声優の意見:
http://text.colt.amigasa.jp/D22_38.htm
http://text.colt.amigasa.jp/D22_39.htm
ルパン三世こと故・山田康雄が典型なのだが、古い声優は
「役者が声の仕事をやっているのだ」
と言う自覚のもとに「芝居」をする。
演劇は、映像化される全ての物語の祖先である。
舞台の役者も、映画の役者も、TVの役者も、そしてアニメの役者も、「他者を演ずる」と言う点では、必ずこの「原型(アーキタイプ)」に回帰する。
特に昭和世代の声優は、大劇団出身者や、自ら小劇団を率いる者が少なくない。
上記サイトの管理人に至っては、現時点では、あまりの粗製乱造に、役者(ここはあえて声優と言わない)として関わる事をしたくなくなっていると言う。
(加えて、声優がアイドルとしての顔を持つとともに、プロ意識がなく自己陶酔に浸り、コスプレして怪音波を放っている様子に辟易している模様)
歴史的に考えれば、音楽界では既に同様の波が起きて、そして浮沈はあるが定着した。
アイドルは、量産され消費される。
一時的には、ヒットチャートの殆どがアイドル歌手に埋め尽くされる傾向が現れたが、現在ではもうそんな事はない。
ファン層も、見るところはしっかり見ている。
メガヒット不在と言えども、良いものはそこそこ売れ、大したことないものはほとんど売れないと言うだけである。
娯楽に使える金が減った、と言う事もあるが、目と耳が肥えた人間も、想像以上に居ると言う事なのだ。
アニメでも、いずれそうなる。
と言うより、消費行動を変えない人間の年代層が上がる事により、萌え一つで釣れる層は自然減に移るだろう。
下の世代ほど、いつまでも騙されてはいないからである。
市場の縮退とともに、萌え主体作品と、古典回帰的作品の棲み分けが起こり、現状は落ち着くのではないか。
最も、そうなるとアイドル声優の大群が失職し、冬の時代になるとは思うが・・・。
URL先の記事を読みました。
うん、さすがプロの方だ。私が漠然と感じていた事をそのままきっぱりとおっしゃられている。
元記事で、私は「最後にまともに見たのは、りりかるなのはStrikerS」と書いたのですが、これはリアルタイム視聴という意味ですね。これより前というと初代なのはとA's、そのさらに前というと20世紀になってしまいます。とにかくここ十数年、まともに新作アニメ見てなかったのです。
ところが「リリカルなのは」を見ていると、なんだか見た事もない、しかもアイドルと言うには異様にクドい衣装の変なスイーツな女性がCMに出てくる。しかも宣伝しているのは主題歌……なにこれ?
いやぁ、写っているのが声優と知った時の驚きといったら。
だって、さすが今どきの声優さんで結構可愛い感じなのに、ほとんど変態としか言いようのない凄まじい衣装でとんでもないセットの中で歌ってるわけで。「いくらなんでもひどいだろ、声優さん可哀想だ。誰だよこんなキモいCM撮らせたの」と思ったものです。
だけど、最近のアニメだけでなく製作現場や声優さんにもそういう現状があるとしたら。
……実際、もうダメかもしれませんね。
おそらく、現場にわかる人がいても状況を変える力は既になく、応えられる人材もお金もない。そしてファンの側も、未来を憂うようなファンの声が、そうでないのにかき消されてしまう。
このままいけば、少なくとも日本の業界は一度完全に滅びると思うんですよ。だって、この状態で次の世代の若者が製作現場に入るとは思えないもの。
漫画家だのアニメ関係なんて仕事は、正直儲かる仕事じゃない事くらい今時の子なら知ってるはずです。
でも、それでも来るとしたら、誰かの作品を見て「俺も書きたい」「俺も作りたい、参加したい」と思うからでしょう?
今の萌えアニメ見て、「もっと萌えさせて~XD」と思う奴はいても、「俺も製作現場に入って、ばりばり作りてぇ」と思うでしょうかね?
さて。
こう書くと「需要があるのだから滅びるわけないじゃん」という声がありそうだけど、滅びても彼らは問題ないはずなんですな。だって、中国やら韓国やらタイやらの現場がそれを受け止めるだろうし、別にどこの人間が作っていようと、彼らは「萌えられりゃ構わない」はずだもの。
だけど、そうこうしているうちに、視聴者の側が減ってくる。今の若者世代は「アニメはジジババとガキが見るもの」という感じに大きく傾いちゃってますから、ガンダム世代が歳とって減り出したらもうおしまいです。ある数まで減った時点で「もうペイしない」と判断したところで、さっくり全部切り捨てられておしまいだ。
かくして、日本アニメは滅ぶと。
そういえば、前の会社に二人ほどいたアニヲタの人は、そういう事には全く関心がなかったですね。まさしく「かわいければそれでいい」方向にシフトしちゃって。
彼らはそもそも、本来の意味で言うところのオタではないんで、掘り下げるという事をしないのですね。だからそういう会話は全く合わなかったのを覚えています。掘り下げて、解体して、翻意して、いじり回して背景やら対比やら色々と見回って見て、そこまでしてはじめて見えたくる面白さもあるわけなんですが、彼らは関心がない。
違うなーとはっきり思いはじめたのはたぶん、彼らが「銀色」をつまらないと考え「みずいろ」がいいと思っていた所くらいかな?
「銀色」はきっつい話が多いので彼ら的にダメだったようで。逆に「みずいろ」はこっちが、どこが面白いのか全く理解できなかった。
どこで決定的だったのかはもう覚えてないけど、世界観やキャラの掘り下げをしたりテーマについて議論する事もなく、ただ萌え転がるだけなんて楽しみ方は、ちょっとついていけなかった。なんかそれって、家に帰ってTVつけて、それ見て過ごしているのと全然変わらないじゃん。本当にただの消費単位だ。
本当にそれでいいのか、と私は思った。でも、彼らはそれでよかったんですね。
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