2009年8月18日火曜日

ASCII.jp:レスポールの死と、初音ミク「白いクスリ」削除問題を考える|四本淑三の「テレビを捨てよ、動画サイトを観よう」

ASCII.jp:レスポールの死と、初音ミク「白いクスリ」削除問題を考える|四本淑三の「テレビを捨てよ、動画サイトを観よう」

上の記事を要約すると、以下のようになる。

レスポール氏は自分の生み出したギターがどう使われようと文句は言わなかった……なるほどその通りだ。楽器は楽器にすぎず、それは何者にも属さない無色のもの。だから如何様にもできるし、如何様にも使える。それは当たり前の話だ。だって楽器なのだから。

だがミクはそうはいかない。ミクは検閲を受ける不完全な演出装置なのだ。

事情は理解できるが、所詮、検閲を受ける道具では自由な表現なぞできるわけもなく、その意味でミクは楽器とは言えないと。たくさんのクリエイターを生み出している功績は素晴らしいが、この先に進むにはこの制約を何とかしない限りはどうにもならないと。

確かに私も同意見だ。

実のところ、ボーカロイドに激しく関心があるが導入を試さない理由はLinux版がないためだけではない。独占一社でどうにでもなってしまうもの、永続性のないものにあえて手を出す気がしないだけなのだ。
せめて一般的なデジタル音源のひとつとして複数の会社がしのぎを削る状態にならないと、おいそれと手を出したいとは思えない。せっかく新しい表現を得ても大人の事情とやらで消えてしまったら、それはきつい。羽根をむしられるような思いはなるべくしたくないのが人間というものだろう。

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