2010年3月24日水曜日
大道寺知世が好きだ。
(Debian squeeze。未だコードフリーズならず)
正しくは、彼女がさくらに寄せる無垢なる慕情が切ないほどに好きだ。
本作を知っている方ならご存知だろう。それはもう第一話からあからさまであるが、さくらはそれを正しく理解していないし、知世も理解して欲しいとは思っていない(いつか話すと原作中で言っているが、作中では永久に語らずくさい)。周囲の友人たちはそれを理解しているのかいないのか。見たところ言わぬが華という感じではあるが。
だけど、それは重要ではない。
知世の想いが本当の意味で届く事は永遠にない。それは知世の母親が、さくらの母親に抱いていた想いがそうであったように、相手が幸せであって欲しいと思えば思うほどに決して届く事はない。
そんな悲しい、報われない立場にある彼女。
本作に登場する少女たちはほとんどが小学生であるが、この知世ともうひとりいる別の少女の二人は突出して大人びている。知世は言うまでもなくこのさくらへの想いのためであり、そしてもうひとりの彼女は、知世とは別の意味でひとに言えない恋愛をしているためである。だが後者はちゃんと相手と将来結ばれる(もちろん彼女が子供すぎるので未来の話だが)ようだ。そして知世はおそらく絶対に報われないし、それを望みもしない。
だけど、切なくないわけがないだろう。なんといっても彼女は未だ小学生であり、しかも彼女を支えてくれる大人といえば、同じ恋をかつて経験した母親だけなのだから。
私は、そんな悲しく、切なく、つらい立場の彼女を見ていると、がんばれと言いたくなるのである。
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