2009年3月8日日曜日

[ノートPCの環境整備] LaTeX関係

うちのホームページ関係は、技術的に大きく分けると二つになる。

ひとつは表ページやセリオ専科など。これらは Emacs + EmacsMuseというパブリッシング環境で構築している。
もうひとつはノベル系ページ構造。これらは生テキストのファイルを自作スクリプトでXHTML1.1に変換し、ネット上のディレクトリとsyncさせる。

前者はEmacsツール群が必要だがシンプルで自由度が高く非常に扱いやすい。ただし2009/3現在、ふりがな関係の問題が解決していないため、HTML以外のコンテンツを自動生成するのは少し制限がある。

後者はゼロから自分で構築したのでどうにでもなるし、好きなエディタで作成できるしやりたい放題だ。make一発でpdfやOOo文書を生成する事すらできる、しかもふりがなつきで。長年のテキストサイト運営の果てにたどり着いた究極の一であり、単にXHTML変換するだけならruby+uconvが動くだけでも何とかなるように実装してある。必要な機能以外を一切そぎ落とした構成ゆえに可能なシステムだ。
ただし便利にしようとすると、makeやlftp、LaTex+kunten2e.sty等、UNIX由来の環境をふんだんに使う構造になっている。特にPDF生成に必要なLaTeX環境では、日本語縦書きの処理に奥村研クラスファイル群、それからルビ処理のためにkunten2e.sty(2.0)が必要だ。奥村研の方はDebianパッケージにもなっているがkunten2e.styはそうはいかないので、もらってきて手でコピーし、mktexlsrを使うというアナクロな方法もとらなくてはならない。
が、全部揃えるとmake一発で縦書きPDFまで作ったうえにインデックスページも自動生成するという非常に気楽な管理ができる仕組みになっている。
私が複数のホームページを日常的に管理できていたのはそういうわけだ。いちいちHTMLなんて触らないし、make一発で加工・自動生成・アップロードまで全自動でやる仕組みが確立していたからこそ可能だったのだと言える。

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で、話を戻す。
一次創作関連をメインPCから更新するため、Debian lennyに先日入れ替えたメインPCにLaTeX環境を再導入した。
問題は特になかったが、fontmapxが読めないどうのとエラーが出た。これの対処は難しくない。単に日本語laTeX環境を残らず入れたら、mktexlsrをマニュアルで走らせればOKだと思う。
あと、kochi-(gothic|mincho)、gsもセットでいれておこう。

2009年3月6日金曜日

デスクトップ崩壊へ ──何を今さら

 ここ数ヶ月、あちこちのニュースサイトなどの記事をみると、デスクトップのシェア減少やノートへの主力移行が今さらのように伝えられていた。
 私に言わせてもらえば「いったいどれだけ時代遅れなの」としかいいようがないのだが、まぁ仕方あるまい。大手ニュースサイトで精力的な新人が「デスクトップなんて職業上そういうのが必要な人とオタクのためのものでしょう?」なんて言おうもんなら、その意味が理解できない旧式のおっさんユーザーたちが「何いってんの?ノートなんて高くて遅くて使えないもん、ほいほい買うわけないじゃん」と一笑に付して終わっていたのだろうから。こちらにしてみればそんなもの「あんた電器屋のPCコーナー見たことあるのか?」と言いたいわけなのだが。

 結論からいうと、もうデスクトップなんてものは市場自体がニッチ向けになっているのだ。電器屋にあるのはノート、あるいはノートベースのデスクトップ風一体化マシンの類だ。五月蠅い、ごちごちゃしてる、ダサイと三拍子そろった「高性能デスクトップ」とやらはちぃとも売れないのだ。売れないものは置かない、というわけでとっくの昔に普通のお店では並べなくなってしまっているのだ。

「そんなわけねえじゃん。メーカーサイト見ろよ」

 そう。確かにメーカーサイトにはデスクトップも並んでいる。通販でも買えるだろう。
 だけどね、普通のユーザは保証コミでお店で買うんです。見たこともないパソコンを、しかも通販購入なんて大冒険するのは元々普通の人じゃないんですよ。だからお店にないって事はつまり、選択肢にのぼらないって事なのです。
 ではなぜ、デスクトップがなくなったのか。ノートばかりなのか。
 私はこのあたりを、こう分析しています。

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 同じ性能、同じ内容ならば、据え付けで動かせないよりも家中移動できるほうがいいに決まっている。少なくともこれは間違いない。
 ラジオもテレビも同じような末路をたどった。テレビは大画面志向が存在するおかげで辛うじて大型市場が残ってはいるけれど、これはおそらく進化の本道ではない。それがメディア端末の性格をもつ限り、公用から家庭、家庭から個人とスモールダウンしていく流れは止めようがないからだ。

 PCは本来これらメディア端末ではないが、一般人がPCに求めるのは双方向性の、やはりメディア端末だといえる。メールにしろ年賀状にしろそういうことであり、一部のニッチを除けば高性能デスクトップなぞ元々必要ないのだ。
 ではどうしてデスクトップが売れてたのか。簡単だ、ノートが単に馬鹿高かったからだ。
 しかし時代は変わる。デスクトップがCRTから液晶に移行した時、この結末はすでに決まっていた。
 充分に使えるポータブルは据え付けの高性能機を軒並み食いつぶす。これは電機史の史実であり私の思いつきなどではない。価格・機能・ニーズの三面で十分折り合えるようになったポータブルは歴史の力学にしたがい、据え付け機の市場を奪っていく。ただそれだけの話なのだ。

 むかしのPC評論家でエコを語る者はほとんどいなかった。いや、それどころかつい最近までほとんどいなかった。なぜだろう?
 簡単だ。これらのPC評論家はオーディオマニアと同じ人種が大多数で、性能とコストパフォーマンス以外にまったく無関心だったからだ。
 普通の家電なら当然あるはずの騒音問題なども気にしない。彼らは「PCは速さが命」と断言して憚らず、エコにこだわったり静音に向かうのは「アパート住まいなどの特殊事情」とか「事務用途などのニッチな方向」と決め付け、その考えを覆さなかった。
 しかし現実は違った。彼らの目は結局、高度経済成長時代の「隣の車が大きく見えます〜」な感覚から一歩も進歩してなかったんだろう。
 だってねえ。
 いくら性能よくたって、数百ワットの電源ついててガンガン電気食うマシンなんだよねえ。しかも、ゴーゴーものすごい音たててさ。
 そんなの、いくら性能よくたってみんな欲しがるわけないじゃん。
 アタマ悪すぎだっての。

 日本は確かにノートの普及が早かった。それは住宅事情によるものなのだけど、だからといって「海外の広い家でノートなんかいらないだろ、こんなのうさぎ小屋のニーズだ」なんて、したり顔で言ってた評論家たちはあまりにも海外オンチと言うしかあるまい。実際には「電源事情」という日本よりはるかにシリアスな理由でノートPCが好まれていたのだから。そりゃそうだ。UPSとセットでデスクトップを買うくらいなら、ノートという選択肢だって当然あるだろ。
 そしてなにより「コンセントさえあればどこでもhackできる」ことでGeekたちもノートを好んだ。そういうことだ。

2009年3月5日木曜日

啓蟄

今日は、啓蟄(けいちつ)。

四季折々を野に山に飛び回って暮らした幼児時代の私にとっては知的好奇心を満たす季節のひとつ。そう、カエルの卵を見に行くのだ。

家にあった動物図鑑で漢字や感性を磨いた三つくらいの頃の私にとり、卵塊の形から「あれはアマガエル、これはアカガエル」などと見分けるのは簡単なことだった。そしてその好奇心を満たす最大のイベントがオタマジャクシからの変態の観察、そして卵塊からの孵化だった。
果たして、うちの近所にはいつもアマガエルの卵塊のある場所があった。二度はそこから卵塊を回収、家でカエルまで育てたこともある。もっともカエルになったら皆逃げ出して庭に住み着いた。すべてが生き延びたわけでもないが分母数が多いので生き延びる奴も多く、雨がくると大合唱して母を閉口させたらしい。

今思えばカエルという生物のアプローチは実に不思議だ。れっきとした脊椎動物、しかも水棲でない生き物でここまでの決定的な変態をする生き物はあまり多くない。それは一つの「陸地」へのアプローチのひとつであったのだけど、淘汰の結果カエル案は普及しなかった。むしろ生物は水から離れ、乾燥に強い爬虫類のアプローチを選んだからだった。
裏を返すと、地球がもっとジメジメした湿地ばかりの惑星ならば両生類が強かったかもしれないし、カエルの得意とする生息域がもっと…ということもありうる。進化とは必然で起きるがその経緯には試行錯誤も行われる。バージェスの奇怪な動物群を引くまでもなく、そういう事なのだろう。

2009年3月4日水曜日

梅の花 それとも見えず 久方の 天霧る雪の なべて降れれば

……by 柿本人麻呂 / 古今和歌集

梅の花は白いわけで、天を霧のように平坦に降り注ぐ雪の中では、それとわからぬという歌。しかし、天霧る(あまぎる)とは風流ですねえ。

ま、そこまで降ってないしこの辺じゃ梅の花もないけど ^^;

2009年3月3日火曜日

あなたの知らない世界

中央線の駅が美形男子に “鉄分”入り乙女向けWeb漫画「ミラクル☆トレイン」 - ITmedia News

これ本当に人類かと叫びたくなるような「ありえないイケメンたち」が、ちんちくりんだったりソコソコだったりする主人公(女)をみんなして取り合う。あるいは作中に出てくるそれらイケメンたちはすべてホモで、特定の少年を巡って恋のさやあてをしている──。
これらは別におかしなものではない。ごくごく普通に、そこらに無数にありふれている「乙女漫画」の姿でありステレオタイプである。
そう、よく叩かれる男性むけの美少女もののそっくりそのまま男女反対なのだが、実はこちらの方がはるかに長い歴史を持っている。私も子供の頃、姉が持っていた「摩利と慎吾」などを読んだものだ。だから大人になってからヲタむけ乙女むけを見た時も「こういうのはいつの時代もあるんだなぁ」と思っただけだった。

ヲタ男の描く美少女・美女が異様なのと同様、腐女子の描く美少年、美男もやはり異様である。いやむしろ腐の方がある意味強烈だ。
これはあくまで推測なのだけど、その裏には母性本能があるのかもしれない。
半ズボンの男の子キャラが女性に人気高いのはショタ好きってだけでは語れまい。「かわいいものが好き」というのは男にも女にもあるし、また異性の子供に対する想いや甘さも男女共通ではあるものの、おそらくはそれだけではない。

2009年3月2日月曜日

他面からみるブランドイメージ

商品やメーカーにはブランドイメージというものがあり、それは受け取り手ひとりひとり、あるいは立場で違ってくる。

たとえばヤマハ。オートバイ好きとしての私がヤマハというと「見た目優先」だろう。きちんとデザインされたオートバイも多々あるが、どう見ても誰かの暴走の果てとしか思えないものもある。いろんな意味で「平衡がとれてない」のがヤマハ発動機のイメージだ。
しかし、おなじヤマハでも楽器メーカーとして見ると評価はがらりと変わる。楽器産業としてのヤマハはオートバイメーカーにおけるホンダのようなものだからだ。良くも悪くも優等生で、時おり野心的なものも放つというところか。個性が弱いので揶揄される事もままあるが、くせがないのが癖とでもいうか。とてもニュートラルで演奏しやすいギターも多いが、反面とんでもないフェイクな楽器はヤマハからは現れない。
同じメーカーなのに別サイドから見るだけでこれほどもイメージが違う。これこそ、多数の立場からものを見るおもしろさである。

そんなわたしがPCブランドをイメージすると、こんな感じになろうか。

IBM: 堅牢。重厚長大。老舗。
HP: RPN電卓屋さんのPC。昔のダサかっこいいの好きだったなぁ。
DELL: そこそこ安い、そこそこ速い、そこそこ便利。お金かけてもサポートつけるべし。
ASUStek: 完成品はわからないが、マザーボードには絶対の信頼を持っている。
NEC: PC-9801。遅い古い高いダサイの四重苦。おとっつぁんのPC。おつきあいで買う田舎のPC。
Mac: ちょっとズレてる感があるがクール。お金をデザインで隠す二枚舌に納得できるなら面白そう。
富士通: いまいちだが、いないと寂しい。
中華系: 怪しいが面白そうだ

Acerと韓国系は情報がなさすぎてイメージが湧かない。

2009年3月1日日曜日

UbuntuをDebianに戻した。


 ほとんどメイン機となっているにも関わらず、Ubuntu 8.10が入っていた古いIBM Thinkpad。ようやく落ち着いてきたので、stableになったばかりのDebian lennyをインストールした。


 デスクトップはずっと前からLennyなので代り映えはしない。だけど道具の外観なんてそんなものだね :D