(GDM用のDebianロゴ。
当時はこんなものまでいちいち全部好みのものに取り替えていた。痛PCとか痛車の原理ですな。
最もそのために英文のドキュメントを読み試行錯誤を重ねたわけです。アプリケーションのコンパイルだって、xmulti とか xmascot とか全部そっち系から入った。lynxの日本語パッチ(あさだパッチというのをいただいて来ました。私のUNIX人生初コンパイルはこれです)だって、ときメモのSSを快適に読むためです。当時はMosaicにしろNetscape1.1にしろ、UNIX版の日本語なんてロクなもんじゃなかったと思うし。
私がりなめしを喰えていた原動力は間違いなくこっち方向の情熱でしょう ^^;;;
なお元画像は今は亡き(引越し時にDVD紛失しちまった… orz)
CCさくらのDVDからとったショット)
データ整理とはするものだ。
デスクトップのユーザー領域を食い潰している謎のアーカイヴをほどくと、そこには昔の桃源郷があった。
愛國戦隊大日本。
当時ニトロプラスがネット配布していた(今もしている?)デモンベインなどのデモムービー。
大量のイリヤ画像。たぶんマスキングと
立ち絵はゲーム本体から、背景は自分で外で撮影してきたものだろう。画面右下に出る事を想定しているのはたぶん、作業中も右隅に見えるようにだろう。しかし当時の画面サイズでは無駄な抵抗だと思うが ^^;
AfterStep(たぶん1.0クラシック)用の『Hello World』アイコン軍団。
三助のアイコンなんてどこから入手したんだ ^^;まだ新品の薫りのするCL400とかもあるが、まぁそれはそれ。
痛さが素敵すぎる XD
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