今日は、啓蟄(けいちつ)。
四季折々を野に山に飛び回って暮らした幼児時代の私にとっては知的好奇心を満たす季節のひとつ。そう、カエルの卵を見に行くのだ。
家にあった動物図鑑で漢字や感性を磨いた三つくらいの頃の私にとり、卵塊の形から「あれはアマガエル、これはアカガエル」などと見分けるのは簡単なことだった。そしてその好奇心を満たす最大のイベントがオタマジャクシからの変態の観察、そして卵塊からの孵化だった。
果たして、うちの近所にはいつもアマガエルの卵塊のある場所があった。二度はそこから卵塊を回収、家でカエルまで育てたこともある。もっともカエルになったら皆逃げ出して庭に住み着いた。すべてが生き延びたわけでもないが分母数が多いので生き延びる奴も多く、雨がくると大合唱して母を閉口させたらしい。
今思えばカエルという生物のアプローチは実に不思議だ。れっきとした脊椎動物、しかも水棲でない生き物でここまでの決定的な変態をする生き物はあまり多くない。それは一つの「陸地」へのアプローチのひとつであったのだけど、淘汰の結果カエル案は普及しなかった。むしろ生物は水から離れ、乾燥に強い爬虫類のアプローチを選んだからだった。
裏を返すと、地球がもっとジメジメした湿地ばかりの惑星ならば両生類が強かったかもしれないし、カエルの得意とする生息域がもっと…ということもありうる。進化とは必然で起きるがその経緯には試行錯誤も行われる。バージェスの奇怪な動物群を引くまでもなく、そういう事なのだろう。
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